下品なことを妄想すると頭がよくなる?
下記の記事が出ている。
A dirty mind is a SHARPER mind: Sexual thoughts boost memory, expert claims
Daily Mail: 31 December, 2014
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2847482/A-dirty-mind-SHARPER-mind-Sexual-thoughts-boost-memory-expert-claims.html
そうかもしれないのだが,逆かもしれない。つまり,頭のよい人は下品なことも盛んに妄想できるというように考えることもできるというわけだ。
下品なことはさておき,偏狭なナショナリズムに陥らないようにするためには,広範な知識・教養を積み,公平にものごとを考えるのでなければならない。このことについて異論はないだろう。問題は,教育によって知識・教養を積めば頭がよくなると考えるのか,それとも頭の良い人は知識・教養を積むことができると考えるかにある。
更には,貧富の差などのような社会的な立場の相違と頭の良し悪しとは無関係だということを理解しなければならない。
ただし,古来,貧民の中に生まれた子でも極めて優秀な子を見出すことができたときは,富裕な人々は養子として迎え,その子孫に過ぎれた能力をもつ血(遺伝子)を入れることに心血を注いできた。貧民にはそういうことができない。徳川時代は身分社会だという人がいるし,基本的にはそうなのだが,そうやって真の能力主義を併用していたからこそ,日本国が破綻しないで済んだ。明治維新の時代の有名人の中にもかなり養子が多い。能力があってもお金がないと勉強できないので,有力者が養子として迎え,立派に育てたということなのだろうと思う。
極端な共産主義社会でない限り,社会主義国家や共産主義国家を含め,どんな社会でも本当は経済的自由があり,ただその程度が異なるだけなので,多かれ少なかれ貧富の差が生じてしまうことは不可避なので,そういう意味での差異は出てしまう。その差異の弊害をいかに抑制するかが為政者のなすべき仕事というものだろうと思う。
このような調和(養)については,『荀子』の「禮論」の中にも書いてある。
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