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2015年1月17日 (土曜日)

実証的文学方法論

文学の世界も非常に細分化されていて,まあとにかく複雑怪奇になっているし,そもそも利益と直結する出版業界がからんでいる世界では学問や芸術とは無縁の要素も多々含まれているので,正直言ってよくわからない。

しかし,古典研究の領域において,これまで不十分だった共通の方法論があるように思う。

それは,実験の欠如だ。

例えば,『源氏物語』で「藤袴」を論ずる場合,実際にフジバカマを栽培し,香料を確保するためにはどれだけ多数の個体を採収しなければならないかを実験した上で論文を書いている学者がどれだけいるのだろうか?

山野を歩きまわり,野生のフジバカマなど本当は存在しないということを実感して心の中に巨大な空洞のできる思いをしたことのある学者がどれだけいるだろうか?

『楚辞』に出てくる「蘭」を論ずる場合,フジバカマから繊維を得ることが可能かどうか,可能だとしてその繊維を織って布にしたりすることが可能かどうか,フジバカマを櫂(オールや棹)として用いることができるかどうか,フジバカマの葉を供物の皿として用いることが可能かどうかを実験してみた中国文学者は存在するのだろうか?

きっと,ほぼ皆無だろうと思う。

だから荒唐無稽になる。

フジバカマに限らず,ほぼ全ての要素(生物である要素または生物に由来する要素)についてその調子なものだから,訓詁学や修辞学に属する部分を除いては,信頼性はほぼゼロと言ってよいだろう。

若い文学研究者は大いに喜ぶべきだ。

偉い先生方が軽視してやってこなかった実験を,いま,世界で初めて自分がやることができる。

その際の秘訣は,誰でもすぐに飛びつきそうなフジバカマではなく,「魑魅魍魎」とされる気持ちの悪い小動物を素材とすることだ。その飼育は容易ではないし危険も伴う。だから研究する人も少ない。しかし,だからこそ,その分野で権威になれる可能性が出てくる・・・というわけだ。

古典研究の分野において,実証的な実験を結合するような方法論を是非とも標準的なものとすべきだと考えている。

ちなみに,「蘭」は良い素材だと思う。

しかし,5~10年程度以上,少なくとも100種以上の蘭を継続して栽培して経験を積み,長年にわたる徹底した文献研究をした後でないとわからないことが圧倒的に多い。学生の時点で研究を完成するのは無理なので,それを素材またはテーマとするのは,研究者としての職を確保してからのほうが良い。

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