台湾と日本とオランダ
ときどき読みにいっている「しばやんの日々」に台湾と日本とオランダが関係した歴史上の出来事についての記事が出ていた。
鎖国前の台湾で、新参者のオランダの苛政に抵抗した日本商人の話
しばやんの日々:2015年1月17日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-368.html
台湾からオランダを追い出した鄭成功の大和魂
しばやんの日々:2015年1月25日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-369.html
鄭成功については,私も非常に興味深い人物だと思って調べたことがある。しかし,浜田弥兵衛にはあまり興味をもっていなかった。今度,調べてみようと思う。
それにしても,当時の世界情勢からすれば,アジア全体が欧州列強によって奴隷化されていた可能性が高い。
日本が植民地とされず,欧州人によって奴隷化されなかったことは奇跡に近いことだったかもしれないと思うことがある。
[追記:2015年2月2日]
山田長政の記事が掲載されていた。高校の日本史の教科書は書き改められるべきだろうと思う。
日本人傭兵隊がシャムで結成され、山田長政が活躍した背景を考える
しばやんの日々:2015年1月29日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-370.html
[追記:2015年2月4日]
しばやんの日々のサイトに2011年の関連記事があるのを見つけたので追加する。
400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと
しばやんの日々:2011年1月30日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-116.html
今後,「大航海時代」との名称を使うのをやめたら良いのではないかと思う。代わりに,「大奴隷狩り時代」とするのが良い。
そのような時代は,第二次世界大戦の終了ころまで続いていた。だから,日本国が連合軍に降伏するための交渉がもたついてしまった最大の原因の一つとして「降伏によって日本人を奴隷化しないこと」という条件を取り付けるのに時間がかかったからだとされている。無条件降伏した場合,日本人は全員売られてどこかの国の奴隷となっていたかもしれない。当時の連合国は,全部侵略主義の時代の国家なので,征服した国の人々を奴隷化する権利が正当に認められていた。良いとか悪いとかではなく,そういう時代だったのだ。
世界史上において,植民地の人々を奴隷化せず,教育振興と産業育成につとめ,植民地の人々の民生の向上のために尽力したのは,敗戦前の日本国くらいしかなかったのではないかと思う。
ちなみに,西欧列強による世界征服の時代には,抵抗すれば抹殺するというのが普通だった。そうやって,中南米ではポルトガル人とスペイン人によって文明社会が消滅してしまった。
日本人の祖先と推定される人々の中には太平洋を時計回りにまわって南米まで達した人々がいたらしいということが最近の遺伝子研究の成果により判明している。その中には,おそらく現在の台湾あたりをルーツとする人々がいて,現在のブラジルに相当するところで立派に社会を形成していたのだが,ポルトガルの侵略者達に対して最後まで抵抗したので,文字通り最後の1兵まで戦って玉砕し,歴史から消え去ってしまった。現在残されているのは,墳墓から発掘されたミイラだけだ。何となく,日本人と共通する資質があるように思う。類似の例は,中国の明の時代に大規模に行われたジェノサイドにも見ることができる。かつての楚や呉や巴の人々の大半は,それによって抹殺されてしまった。現在中国南部~西部に生き残っている少数民族は,そのジェノサイドを辛くも逃れたわずかな人々の子孫だろうと思われる。中には銅鼓を用いて祭礼をする人々がいるのだが,なぜか『集古十種』の銅器の巻の中に銅鼓の図があるのが興味深い。
[追記:2015年2月17日]
「しばやんの日々」に,バチカンの法皇による奴隷許可教書のことが書かれていた。
日本人女性がポルトガル人やその奴隷に買われた時代
しばやんの日々:2015年2月17日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-373.html
宣教師達は,相手国の精神と文化と歴史を破壊し,相手国の人々を奴隷化するための手先として存在していたことになる。このことについて,これまでの歴史の中で,バチカンの法皇による説明も謝罪もなされたことはないと思う。日本が説明や謝罪を求めることは決してないし,既にキリスト教化されてしまった国々が求めることもないだろうし,また,奴隷化していた国々が奴隷化したことを悪だったと考えることは決してないと思われるから,結局,未来永劫謝罪されることはないのだろうと思う。
キリスト教徒は,聖書に書かれているキリストの言葉を思い出すべきだと思う。
[追記:2015年2月25日]
続編がアップされていた。面白い。
フィリピンを征服したスペインに降伏勧告状を突き付けた豊臣秀吉
しばやんの日々:2015年2月21日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-374.html
[追記:2015年3月6日]
続編がアップされていた。とても興味深い。
サン・フェリペ号事件と日本二十六聖人殉教事件を考える
しばやんの日々:2015年2月28日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-375.html
わが国を武力征服しようとしたスペイン宣教師の戦略を阻んだ要因は何か
しばやんの日々:2015年3月3日
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-376.html
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コメント
江藤貴紀さん
鄭成功は,評価の難しい人物だと思っています。私にとってそうだというよりも現代の政治情勢ではそうだというべきでしょうか・・・・
もともとはオランダが台湾を植民地にしたこと,そして,清が明を征服したことが根本原因となって,現在まで続いているわけなのですが・・・
結局,「評価」というものは,評価者の立場によって決定的に異なってしまうことになるので,客観的な評価など最初からあり得ないということになりそうです。
それにしても日本人っぽい気質の人だったように思います。
「日本人とは何か?」ということなどを考えていると,その精神構造の根源のようなところまで行きついてしまいます。
投稿: 夏井高人 | 2015年2月 4日 (水曜日) 20時55分
しばやんさん、夏井高人さん、
すばらしく興味深い記事とコメント拝見いたしました。
鄭成功については私も小さい頃から気になっていました。
現在の史学および書き物で、人物のインパクトの割りに扱ってもらえない冷や飯食い(?)なのは確かでね。
ですが、公教育から黙殺されているわけでもないようです。手元の本をあたってみたら、高校用・山川世界史Bの2006年文部科学省検定済みバージョンで、注に記載されています。
編纂者も、カリキュラムとは逸脱しているから積極的には載せないけれど、やはり彼に惹きつけられたため、せめて注釈で扱おうとしたのかな、と推察しております。
投稿: 江藤貴紀 | 2015年2月 4日 (水曜日) 20時44分
しばやんさん
コメントありがとうございます。
山田長政も興味深い人ですね。時期が少しずれていたら,歴史に残る武将になったかもしれない逸材だろうと思います。
しかし,ときどき思うのですが,人間は能力だけではないです。その人が活躍すべき場が与えられないとどうにもならない。孔子のうけうりですけど,「天」というものがあるような気がします。こればかりは人間の浅知恵ではどうにもなりません。
それでは好き勝手に生きた方が良いかというと,そうではなく,世間の目は厳しいです。
それはさておき,世界史的にみると日本の歴史は極めて変わっているように思います。世界各国でとっくの昔に滅んでしまった文化が生きた化石のようにして押し合いへし合いしながらどうにかこうにか併存して生き残っています。
最近,古代のことに興味をもってどんどんのめりこんでおりますけど(笑),世界の中でもこれれほどまでに古代の延長として現代まで連続している国家はなさそうだと思うので,ますますそうなってしまうんですよ。
しばやんさんのブログからはいつも良い刺激を受けております。感謝します。
投稿: 夏井高人 | 2015年1月26日 (月曜日) 21時03分
するどいご指摘ですね。
次回は山田長政を書きますが、当時シャム(現在のタイ)には、数百人の日本人武士が傭兵として活躍していました。
私の考えでは、彼らは奴隷として売られたのだと思います。
投稿: しばやん | 2015年1月26日 (月曜日) 20時02分