アンブロークン
アンジェリーナ・ジョリーの映画『アンブロークン』が話題となっている。
内容的にはほとんどフィクションなのだが,史実だと信じる阿呆がいっぱいるので,日本に対する人種偏見的な差別が世界中で一層ひろまることになるだろう。
しかし,私は,アンジェリーナ・ジョリーを非難しようとは思わない。不勉強で無知で,かつ,戦時中に米国軍が日本人捕虜に対して行った大量虐殺行為を全く悪いことだとは思っていないからそのような映画をつくるのだろうと思う。
けれども,それは,彼女が戦勝国に生まれたという環境のなせるわざで,彼女自身のせいではない。
勝てば官軍で,敗者が勝者を非難することは許されない時代が長く続いた結果がこのような事態を生みだしている。
もし彼女がドイツに生まれ,そこで育ったとしたら,このような映画をつくろうとは思わなかっただろうと思う。
偏見と差別は,環境がつくるものだ。
そのような環境が持続していることについては,マスコミにも大いに責任があるが,そのマスコミも環境に影響されるので解決策はない。
加えて,どの国の人間にしても,責任を負うべき者は,その大半が既に死去している。その子孫は,戦争とは関係がない。関係のない者が責任を負うことはない。それでも議論は尽きない。誰でも自分しか可愛くないからだ。これは、生物としての人間の遺伝子によって決定される生存本能に由来するものなので,やはり解決策は全くない。
そして,何よりも言論の自由がある。
私が思うには,正攻法しかないと思う。
米国でベストセラーになるような対抗的な内容の英文書籍をどんどん出版し,ノーベル賞でもオスカーでも何でも受賞すれば良いのだと思う。
しかし,問題は,そのような人材が日本人の中にはいないということに尽きる。
結局,人材対人材という戦争のようなものを考えてみた場合,圧倒的な物量の差により,戦わずして敗戦になっているのと同様だ。
とにかく,英語で説得力ある書物をどんどん書ける人材がいない。
これは,英語力だけあっても全くダメなことで,内容的に非常に優れたものを生み出せる者が優れた英語で表現できるということが大事なのだ。しかし,いない。
結局,どの時代でもそうなのだが,日本人は臥薪嘗胆・面従腹背するしかない。
表面的には物言わぬ羊のように見えても,内面はそうやって鍛えられてきた鋼のような民族なのだ。
これからもきっとそうなのだろう。
君子和而不流
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