データとリアリティ
下記の記事が出ている。
Education plus ideology exaggerates rejection of reality
ars technica: January, 2015
http://arstechnica.com/science/2015/01/education-plus-ideology-exaggerates-rejection-of-reality/
ビッグデータ解析がもてはやされる時代になった。
単なる統計学の応用にみせかけているが,実際には解析者の見解を膨大なデータの統計解析結果で論証して報告するようなものなので,かなり大きな危険性を含んでいる。それを盲信する経営者は,必衰ということになると考えている。
自分の頭で考えなければならない。考える力がなければ経営者になるべきではない。
そして,なによりも,データはデータに過ぎないということを認識すべきだ。
データは,リアルな事実そのものとは全く異なる。
事実のある側面をモデル化して符号化したものに過ぎない。
誤認の場合を含め,事実からデータを導出することは可能だが,データから推論される事実の確実性は100パーセントになることがあり得ない。
それは,事実の「ある側面」しか示していないことに起因している。
この記事は,イラク戦争における誤りがなぜ発生したのかということを論じるものなのだが,データ解析の前に,データそれ自体の健全性や信頼性についての検証方法が基本的には何も存在していないということのほうがずっと深刻な問題ではないかと思っている。
解析するものが「正確なデータだ」と信じているという信仰のようなものしかない。
データ解析とは,かくも不安定なものの上に構築されているということを正しく理解することが最も大事なことだと思う。
そういうわけで,解析者は,自己過信に陥ってはならない。解析結果の利用者は,信頼度を相当低く見積もった上で利用すべきだろう。
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