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2015年1月 6日 (火曜日)

埴輪の頭にある板状のものは爵弁か?

古代の服飾についてはわからないことが多すぎる。

埴輪もそうだ。

ただ,中国の服飾そのものだと仮定して考えるとわかりやすい場合がある。

葬列か祭列を示すものと推定される群像タイプの埴輪の中には,頭に板状のものを載せていることがある。

普通は,女性の巫女で,髪を島田髷のように結っているのだと解釈している。

しかし,これは,中国の爵弁ではなかろうか。

そのような板状のもの(爵弁?)を乗せた人物埴輪のある古墳とそうでない古墳とがある。

ある種の識別基準になるかもしれないと考え,更に検討中。

(追記)

埴輪の冠や帽子に着目して,ずっと考え続けている。

なぜなら,中国の正史にある「倭人伝」を読むと,帽子や冠は貴人のみが着用するもので,庶人には許されていなかったということがわかるからだ。

すると,埴輪群像で帽子や冠をかぶっている者は,庶人ではなく貴人だということになる。

[追記:2015年12月18日]

ついにそれらしきものを発見することができた。

それは,中国において航海の守り神とされる「天后(媽祖)」だ。

香港には多数の天后(媽祖)像があるが,いずれも日本の埴輪の頭上にある板状の冠をつけている。

[追記:2015年12月24日]

入手可能な文献をとりあえず全部読んでみた。ネット上には次のものがある。

 高橋誠一「日本における天妃信仰の展開とその歴史地理学的側面」
 http://www.icis.kansai-u.ac.jp/data/journal02-v1/10_takahashi.pdf

 湄州島とその周辺
 http://www.geocities.jp/ryukyu_history/china_ryukyu/Meizhoudao.html

 媽祖の生涯と伝説
 http://kstown.chukps.kh.edu.tw/resource/topten/jhtml/02/2062.htm

基本的には,宋代の林黙娘という神通力をもった女性を祀るところから始まっているようだ。

中国の関連文献を読み漁るうちに,何となく宗像社の海神(三女神)との共通点があるように感じた。媽祖の霊場の地名は狐山というが,宗像社の御許山と類似している。

古墳時代と宋代とはかなりかけ離れているけれども,仮に,媽祖信仰のもととなった古代信仰が存在しており,それが宗像社の海神(三女神)信仰と共通の要素をもっていたとの仮説が成立するとすれば,更に検討すべき余地がある。つまり,媽祖信仰は宋代に初めて発生したものではなく,その元となっている古代海神信仰が存在すると考えるわけだ。

中国の論文集の中には人口増大に伴って(隋唐代には外洋航海の拠点だった)山東省から福建省方面に移動した人々が発生させた信仰だということを示唆するものがあり,そういうことなども考えると,全く荒唐無稽とは言い難い仮説だと考えるので,更に考えてみようと思う。

少なくとも,女性であり神仙的な力を有する海神に爵弁のような冠をかぶせた像を祀るという発想がどこから由来するのかを考えるべき余地はあるように思う。この場合,媽祖とされている像だけをデータベース化しても無駄で,それ以前の女神である海神(水神)全ての像をデータベース化して調べる必要がある。

なお,現在知られている媽祖伝承は,明代及び清代に霊廟を整備して祀るために人為的に「標準化」されたものを基礎として,世界文化遺産に登録するために現在の中国政府により再度「標準化」されたものであることは中国の研究者が全員認めるところだ。つまり,本来の民間伝承ではない可能性が高い。しかしながら,清代に整備された霊廟にあった様々な文物の多くが文化大革命時に破壊されてしまったとのことで,復元は難しい。ここは,オーソドックスに民俗学的または歴史学的アプローチを丹念に積み重ねるしかないと考える。日本の媽祖関連論文の圧倒的多数は中国政府によって再標準化された伝承を基礎としており,根本的な見直しが求められる。

欧陽修「日本刀歌」にもみられるように,日宋間には交易があったので,宗像社の海神(三女神)信仰が宋に伝えられ,媽祖信仰として再編成された可能性も否定できないのではないかと思う。

(追記)

日本の巫女の装束では,「豊榮の舞」や「浦安の舞」を演ずるに際して用いる冠が爵弁を省略したような形をしており,『隋書』にある冠を彷彿とさせるものとなっている。

[追記:2015年12月27日]

「豊榮の舞」や「浦安の舞」は,現代になってからつくられた新作神楽だということがわかった。おそらく,その装束には『隋書』に記載のある冠や媽祖の冠が影響を与えていると考えられる。

要するに,日中間で,ある種の「つくりもの」が行ったり来たりしている可能性がある。

(追記)

埴輪の頭にある板状のものは,秦~漢の時代に使用されたという「冕冠(べんかん)」が最も近い。明代のものは『大明冠服圖』の中に図がある。

問題は,この冠は男性用ということになっているのになぜ女性とされる巫女の頭にあるのかということになる。

もしかすると,男性のみが使用したと考えること自体が間違っているのではなかろうか。

女帝の場合,やはり「冕冠」を使ったのではないかとも考えられる。ただし,物理的な証拠はまだ見つけていない。

他方で,巫女とされる埴輪の中には面をつけていると推定されるものがある。この場合,女性のように見えても男性ということがあり得る。

いずれにしても,仮に「冕冠」またはそれに類するものだとすれば,どのような経緯で日本に渡来したのかが問題となる。

(追記)

更にネットで探していたら,板ではなく布だという説を説いているブログがあった。現時点で最も説得力があるのではないかと思う。

 埴輪の女性の髪型について
 歴史とか民俗とか:2011年8月31日
 http://ysiuruhasi.exblog.jp/13418349/

しかし,誇張があるにせよ,布では前後に長い板状のものにはならない。布ではなく板状のものを載せる習俗があったと考えるほうが妥当ではなかろうか。

四角形ではなく丸型だが,日本の神社で奉納される田楽笠のようなものを想定することができる。その原型を探せばよいということになる。

現存しているものとしては,隠岐の美田八幡宮(西ノ島町)の「十方拝礼」で奉納される田楽笠が四角形をしている。これは,男性が身につけるものという点が異なっているが,「十方拝礼」は平安時代に始まったものとされているから,元は女性の巫女が同じようなものを頭に載せて舞を奉納したと推定するか,または,もともと埴輪の巫女は男性だったと推定するかのいずれかによって合理的に説明することが可能と思われる。

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