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2015年1月14日 (水曜日)

現在の図書館情報学における最大の愚

現在の図書館情報学及び図書館実務では,私製本(私家本)や同人誌等を書物とは認めていないし,収集もしていない。

しかし,それは間違いだ。

世界的に非常に有名なベッカリーアの著書『犯罪と刑罰』は,その最初の版は,私的な機密パンフレットのようなものだった。古典とされる名作の中には,そのようなものが非常に多い。

どのような学会にしろ,それぞれの専門分野の人々が集まったサークルに過ぎないので,それらの学会が発行している雑誌は,社会的性質としては,趣味家の雑誌や同人誌と全く変わりがない。

ISBN番号やISSN番号は,国家統制と税収のための手段に過ぎない。

いろいろと考えてみると,現在の図書館は,例外なく,「図書館の自由宣言」に根本的に反することばかりやっているように思う。

収蔵場所がないというのであれば,デジタル化した情報財として収集すればよいではないか。

これに対し,既に世界各国の図書館では,日本におけるような硬直化した運用を根本から改め,体裁等に関係なく,情報財として各種文献資料等を収集する動きが活発化している。

そうしなければ,今後,図書館としての社会的有用性が喪失し,存続ができないという事情もあるのだろう。基本的な書籍資料(著作権法上の問題がないもの)は,今後,全てGoogleで無償で読めるようになるかもしれないのだ。

日本の図書館だけ,格別に鎖国的で原始的な後進地となっていることは,疑いようがない。

他方で,図書の分類も根本的な見直しを求められている。

縦割りで細分化され過ぎているのだ。

もし超天才が現れ,全分野を包括する偉大な著作を公表した場合,どのように分類するのだろうか?

要するに,1つの文献資料について1個の分類番号しか付さないというやり方を根幹から改めなければならない。1個の文献資料が100の分野にまたがっているものであるときは,100個の分類番号を付せば良い。

物質としての書架への配置(配架)しか考慮していないから妙なことになるのだ。

配架(個体としての書籍のID管理)と分類とは基本的に無関係の問題なので,分類番号はデータベースに登録し,配架場所は別に配架場所データベースを構築すれば足りることだと思う。

とにかく,時代遅れなのだ。

どうしようもない。

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