Amazonに注文していた下記の書籍が届いたので読んだ。元は単行本だったものを文庫版にしたものだ。非常にわかりやすく,すらすらと読める。およそ30分で完全読了。
戸矢 学『ツクヨミ 秘された神』
河出書房新社 (2014/9/20)
ISBN-13: 978-4309413174
月読神については,わからないことばかりだ。
しかし,日本の古代史に興味をもつ者にとっては,決して避けて通ることのできない重要な神の一つだ。
私も,これまで,複数の異なる仮説をたてて,雑誌等に私見を書き,更に検討を続けてきた。
法学との分野では,月読神と太陰暦を基本とする古代天文学は,大宝律令の成立との関連においても極めて大きな意味があると考えている。ただ,その前提となる諸々のことを逐一検討するのに非常に時間がかかっている。偉い先生方(物故者)が書いた国学上の通説は全く役にたたないので,基本的にこれらを無視し,全部自分で考え直さなければならない。
太一との対比で月読神を考えてみると,戸矢氏がこの書籍で示しているような構図(特に天皇家の系譜との関連)は,たしかにそのとおりだと納得のいく部分が多い。
その意味で,今回,読んでおいてよかったと思う。
ただ,全面的に承服できない部分もあることも否定しない。やはり,自分の頭で考え続けなければならない。
現代の法学者の大半は,明治時代の法典編纂により,それ以前とは完全に断絶があるものとして基本的な理論体系を構築している。
法理論それ自体として,無論,成立し得るものだし,それゆえに通説として尊重されてきた。
しかし,「ウソだろ」と思うことが余りにも多すぎる。
訓詁学の一種のような部分や単なるレトリックの一種に過ぎない空想に属する部分が圧倒的大部分を占めている。
本当は,「日本国は,現時点でも律令国家だ」と考えた方が理解りやすいのだ。
その際に重要になるのは,やはり五行道だ。ただし,戸矢氏もこの書籍で指摘するとおり,中国流の考え方と日本風にアレンジされたものとが複雑に混在しているので極めて厄介だ。
しかも,私見によれば,もともとは仏教(ヒンヅー教)が基底にあると考えているので,そういう面での研究も更に深めなければならない。
死ぬまで研究しても私の研究が完成することはないかもしれないが,大学の定年までの間には要約的な論説を少なくとも1本くらいは書けるように研究を重ねたいと思う。
なお,この書籍の文庫版あとがきが末尾のほうにあり,三角縁神獣鏡が魔鏡だとの説について批判している。非常に面白い。
私は,鏡の用途について,中国流の祭礼に用いたことが実際にあったと思うし,博物館等で何度も鏡を観察してきた結果によれば,基本的には戸矢氏の意見が正しいのではないかと思う。
しかし,鏡に対する祭礼には古代エジプトに由来して西域経由で渡来したと推定される太陽神信仰の要素が濃厚に含まれていることを否定することはできない。
民俗学等の分野における研究成果は,基本的に尊重されるべきだと思う(事実それ自体ではなく,解釈や推論に属する部分について厳しい論争が生ずることは当然の前提だと考える。)。
また,後代には本来の祭礼とは別の用途に鏡が用いられたこともあったのではないかとの仮説をたて,関連資料を集め続けている。
研究にとって重要な文献資料(流布されている版とは異なる内容の版本・禁書として歴史上消滅してしまったはずの書籍の類)はとても高価なため,私の現状の経済力では全く入手できそうにない。その手のものは国会図書館や天理教のコレクションにも収蔵されていないことがあり,そのコレクションの閲覧によってその内容を知ることもできない。
道は極めて険しい。けれども,焦らずにこの研究を続けようと思う。
(追記)
同じ筆者の下記の新刊書も読んでみた。
戸矢 学
『諏訪の神-封印された縄文の血祭り』
河出書房新社 (2014/12/30)
ISBN-13: 978-4309226156
ちゃんとした上製本なのだが,内容的には平易で,すらすらと読める。約30分で完全に読破できた。
「諏訪」が「周防」と関係があるかもしれないとの説は,私も同感で,以前,雑誌に書いた。
しかし,物部守屋が神道を守ろうとしたとの見解には賛成しない。同じ仏教(ヒンヅー教)と関係する利権争いだったと考えている。この点については,刊行されたばかりの「艸(1)」の中でもちょっとだけ触れた。また,物部氏が消滅してしまったとも考えていない。そもそも氏名ではなくあだ名のようなものだった可能性が高い。別の氏または姓を名乗って存続したと考えるのが妥当だ。この点は,蘇我氏等でも全部同じ。最終的には藤原を名乗り,更に分家して,その後,様々な別姓になったものと推定される。
諏訪の信仰を理解する上で,柱と岩と鹿が重要だという点は,全くそのとおりだと思う。
私は,古代の楚や巴に該当する地域で現在でも残っている柱の祭祀との関連を考えたい(萩原秀三郎『カミの発生』に書かれていることのほうが納得度が高い。)。
諏訪では,被征服者の祭祀と征服者の祭祀とが混在してしまっているため,とにかくわかりにくくなっているのだ。
そうは言っても,単純に縄文文化云々と片付ける安直な発想に反対する点では,私も戸矢氏と同意見だ。
この書籍でちょっと物足りなかったのは,「八坂刀自神」に関する考察だ。
おそらく,この神が最も重要なポイントになるだろうと思う。
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