拜根興『唐代高麗百済移民研究-以西安洛陽出土墓志為中心』
亜東書店に注文していた下記の書籍が届いたので,通勤電車の中でざっと読んだ。
拜根興
唐代高麗百済移民研究-以西安洛陽出土墓志為中心
中国社会科学出版社
ISBN13: 9787516109502
検討の部分が若干甘いような気がするが,とても興味深く読めた。著者は『資治通鑑』を重視しているように思う。
巻頭に多数の墓碑の写真が掲載されており,巻末に附録として読解が収録されている。
墓碑の中には既に日本でも知られているものも多数含まれている。しかし,今回改めて読んでみて,ますます興味をもったものもある。例えば,「大唐故右威衛將軍上柱國禰公墓誌銘并序」の冒頭には,「公諱軍 字温 熊津嵎夷人也」とある。その少し後には「于時日夲餘噍 拠扶桑以逋誅」「風谷遺甿 負盤桃而阻固」とあり,白村江の戦直後の様子と推定される状況が示されている。ここに「日本」と「扶桑」の名があることで話題となった。仮に白村江の戦が朝鮮半島のどこかで起きた出来事だとすれば,扶桑国は朝鮮半島にあったこととならざるを得ない。しかし,白村江が通説の考えている場所よりももっと北方にあったと仮定すると,扶桑国は現在の北朝鮮東方の国だったことになるかもしれない。更に,仮に現在の西日本が「日本」であり現在の東日本が「扶桑」だとすれば,何やら天孫降臨の際の幾つかのストーリーとだぶってくるような気がする。
また,「大周故冠軍大將軍行左豹韜衛翊府中郞將高府君墓誌銘并序」の冒頭には,「君諱玄 字貴主 遼東三韓人也 昔唐家馭曆 幷呑天下 四方合應 啓顙來降 而東夷不賓 據靑海而成國」とある。「大唐勿部將軍功德記」として知られる墓碑中の「勿」とされる部分は,写真で見る限り欠けているようで明瞭ではなく,判読できない。意味深だ。
三韓国は遼東にあったと考える。三韓国に関する通説は,客観的な根拠がない。
他の墓誌の記載内容から推定して,百済と扶余とは同一であり,また,高句麗の南には倭があったと考えるのが合理的ではないかと思う。
ちなみに,「黒歯常之」の墓誌を読んでいると,日本人なのだろうという気がしてくる。「黒歯國」とは日本国のことを指すという説に賛成したい。そして,「黒歯」は,何となく,高向玄理(黒麻呂)を連想させる名だと思った。
「大唐故冠軍大将軍行右威衛将軍上柱國金城郡開国公李公墓誌銘并序」すなわち「仁徳」の墓誌も興味深い。金城郡は,甘粛省蘭州市近辺または遼寧省金州(大連付近)を指し,前者であれば本草と密接な関連を有する。後者であれば,やはり三韓の地が遼東半島周辺にあったという証拠となり得る。
それにしても,唐の有力な将軍の多くが中国東北部出身だという事実には注目すべきだろうと思う。唐の本質は,(反対説・漢族説もあるが)鮮卑族の後裔により建国された国家と理解するのが正しいのではないかと思う。
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