忌部氏のことを調べているうちに,阿波歴史民族研究会という団体があり,その代表者である林博章氏が下記の三冊の書籍を刊行していることを知った。
林博章『オオゲツヒメと倭国創生』
林博章『倭国創生と阿波忌部』
林博章『日本の建国と阿波忌部~麻植郡の足跡と共に~』
阿波歴史民族研究会
http://www3.tcn.ne.jp/~aska/
普通の書店では販売されていないようなので,同研究会宛に電子メールを出して注文したところ,早速届いたので読んでみた。
これらの書籍に書かれていることの中には,これまでの私の研究において全く別の資料と全く別のアプローチから考察してきて得た結果と一致している部分が非常に多いので驚いた。
もちろん,文献の解釈等について見解の相違が存在する部分も多々ある。おそらく,天孫降臨の意義についての基本的視点の相違に起因するものではないかと思う(諸般の事情を考慮して意図的に神武東征等についてぼかした表現を採用しているのかもしれない。)。
しかし,忌部の本質に関する理解という点では,ほとんど同じだった。
3冊とも相当時間をかけて自分の足で各地を訪問し熟考した結果を示すもので,その熱意と努力には敬意を表すべきものだと考える。
林氏の見解に賛成でも反対でも,これらの書籍が資料として極めて高い価値を有することは明らかで,日本の古代史研究のために大いに役立つものだと思う。
『倭国創生と阿波忌部』の口絵写真を見ていて,天石門別八倉比売神社の神紋と私の家紋とが一緒だということを知った。ある種の感慨がある。
なお,林氏の見解にも示されているが,古代のワ族とイ族とは同族で,発音の相違があるだけだと思う。長い歴史の中で分家のようなことが起き,現在では別族のように考える人々が少なくないが,基本的には同族だと考えるのが正しい。
私は,いわゆる「倭族説(ワ族説)」に基本的に賛成する立場を採っている。
このイ族(ワ族)のことを,古代中国の王朝は,東方に住んでいる「イ」という名の蛮族としてとらえ,「東夷」と表現したことはほぼ間違いないと考える。
以前の記事でも書いたが,「イロハ歌」にもその歴史が暗号化されて記録されているのではないかとの仮説をもっている。なかなか難しく,はっきりとした結論を得ているわけではないけれども,引き続き研究を重ねたいと思う。
法学部の学生は,日本国が日本国であることを所与の前提として法学を勉強し始める。しかし,そもそも日本国とは何かを全く知らないことが多い。日本国のみならず中国の古代諸王朝の本質についても全く考えようとしない。だから法学の本質を究めることができない。
一般に,当然のことであり説明や定義を要しない事柄のようにみえても,実は全く不明という事柄があまりにも多過ぎる。現代の法学通説の大部分はそのようなあやふやなものを所与の前提としているので,実は極めて脆弱であり,通説を名乗るのもおこがましいというか,羊頭狗肉の一種となっていることを自覚すべきだろうと思う。
法学者は,常に森羅万象に精通することを目標として,疑問があればどんなことでも徹底的に調べ考えるべきだと信じている。
学生には難しいことだろう。しかし,学生は,自分の抱く疑問が正しい疑問であるかもしれないので,何十年かかけて解明するような気持ちをもつと良いと教えている。もちろん、先人が何百年かかってもわからなかったことをちょっと調べてみただけでわかるという可能性は低い。やはり,地道に時間をかけて調査し考え続けることが大事だ。その際には,頭でっかちはよくない。実際に自分の足で歩き,自分の眼で見ながら考え続ける必要性がある。素人でも1つのテーマについて何十年も研究し続ければ,どんなに高名な権威ある学者よりも優れた研究成果を得ることがあり得る。大学では,そのように教え続けている。
私自身,そのようにして40年以上考え続けてきた。
2014年からその研究成果を踏まえ,現在の私の法学研究上のテーマの基礎(大前提)として提示する作業を開始した。通説とは異なる部分が多い。しかし,嘘だろうと思って検証をすれば必ず私の見解と同一または類似の見解に至ることになるだろう。ある程度の納得度を具備する結論に至るには,かなり長期間にわたる文献調査や現地踏査や実験や考察の積み重ねが必須なのだ。
研究室の机上から離れることができず,観念論だけを根拠にせせら笑っているようなタイプの人々については,要するに愚人だと思い軽蔑しているし,そのような人々の意見は完全に無視している。
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