集安高句麗碑-高句麗第19代好太王の名は「神武」?
亜東書店で下記の書籍を購入し,さっそく精読した。
張 福有編著
『集安麻綫高句麗碑』
文物出版社
ISBN: 9787501038824
碑の存在は既に知られているが,その内容を解読した書籍が長らく待たれていた。
精読した結果,政治的な意図による歪曲は存在せず,読解の一つとして成立可能だと判断した。もちろん,別の読解の成立可能性を否定する趣旨ではない。
なにしろ,かなり磨滅しており,読解は楽ではない。
しかし,他の発掘品との照合により,次の一文は定型文言として複数の碑文に含まれていたと確認することができる。
「唯國罡上太王號平安太王神武乗輿東西廿家」
古代史に興味のある者にとって必読の書だと思われる。
考証は精緻で,比較対照した他の碑文の文言等も大いに参考になる。
なお,石碑の発見地との関連から,高句麗の所在地は吉林省集安市麻綫村付近だったということを理解することができる。集安市は中国と北朝鮮の国境となっている鴨緑江の上流西岸にある。このことから,好太王碑文にある倭と戦乱の多くは現在の北朝鮮領土内で発生したもので,現在の韓国領土内まで南下することはないのだろうということも推測可能になる。
今日の通説における朝鮮半島の歴史地図等の記載は,根本的に間違っている可能性が高い。
更に「麻綫」という地名も気になる。現代日本語で書くと「麻糸」となり,古代の衣服に用いられた麻の繊維を意味するものだろうと思う。古代の日本では,忌部氏や羽鳥氏との関連が深い(より正確には,忌部氏が主に養蚕と絹織物との関連が深く,羽鳥氏が麻栽培と麻織物との関連が深いように思われる。)。現在の麻生等の氏族の祖は,全て麻の栽培と関係していると考えるのが妥当で,この点については歴史学の通説にもあまり異論を見ない。
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