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2014年8月25日 (月曜日)

廃仏毀釈の原因

ときどき読みに行っている歴史ブログ「しばやんの日々」に興味深い記事が掲載されていた。

 江戸時代になぜ排仏思想が拡がり、明治維新後に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたのか
 しばやんの日々:2014年8月22日
 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-339.html

とても勉強になる。

[追記:2014年8月26日]

続編がアップされていた。

 水戸藩が明治維新以前に廃仏毀釈を行なった経緯
 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-340.html

[追記:2014年8月31日]

続編がアップされていた。

 寺院の梵鐘を鋳つぶして大砲を作れという太政官符に苦慮した江戸幕府
 しばやんの日々:2014年8月30日
 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-341.html

[追記:2014年9月5日]

続編がアップされていた。

 全寺院を廃寺にした薩摩藩の廃仏毀釈は江戸末期より始まっていたのではないか
 しばやんの日々:2014年9月5日
 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-342.html

この記事では,薩摩藩における徹底した廃仏毀釈について,その経済的動因を示唆している。

私見では,基本的に寺領の収益の争奪戦が根底にあると考えている。古代の蘇我氏と物部氏との争いも,建前としては宗教的論争があったかのように書かれているけれども,本当は単純に銭金(ぜにかね)の問題に過ぎなかったのではないかと思う。

立派そうな原因があると勝手に思い込むからわからなくなる。人間は,それほど立派な動物じゃないし,誰しも下品な欲望にまみれながら生きているという当たり前のことを承認するかどうかが正しい判断をするかどうかの分かれ目になるのではないかと思う。

建前論はあくまでも建前論に過ぎない。

その建前論に洗脳され踊らされて無謀な行動に走った人々は,むしろ被害者とでもいうべき立場にあったと考えることもできる。殺さなくてもよい人を殺し,破壊しなくてもよいものを破壊し・・・

陰で扇動していた人々は,決して狂人ではない。冷酷で打算的で自分の利益しか考えない人々なのだ。

[追記:2014年9月12日]

続編が出ていた。

 神仏分離令が出た直後の廃仏毀釈の首謀者は神祇官の重職だった
 しばやんの日々:2014年9月10日
 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/

いろいろと考えさせられる。

日本の歴史学の中には,この記事でも指摘されているように,明治時代の政府見解のようなものをそのまま無批判に踏襲しているものがたしかに存在する。意図的にそうしている可能性が高い。

そして,国民は騙され続けている。

騙されているということに気づこうと思えばできないことではないのだが,要するに,総体として白痴化が進んでいるため,まともに疑問を感じたり,思考したり,丹念に調べたりすることができなくなってきているのではないかと想像する。

[追記:2015年2月17日]

「しばやんの日々」にキリスト教徒による神社仏閣の破壊の歴史について書かれていた。記事を追加する。

 キリスト教徒に神社仏閣や仏像などが破壊された時代
 しばやんの日々:2015年2月9日
 http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-372.html

キリスト教化された国々では,こうやって過去の歴史を示す建造物等が破壊されてしまったのだろう。要するに,精神と文化の破壊だ。これは,奴隷化のためには必須のことなので,その目的が非常に明確だと思う。

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コメント

しばやんさん

コメントありがとうございます。

歴史学は難しくて,乏しい史料を素材にした評価や判断を実質的な内容とするものがほとんど全部なので,実は主観的な感想に過ぎないもので,事実そのものとは異なることがあります。タイムマシンはないので,真実を知ることは基本的に不可能に近いです。

このことは裁判における事実認定でも同じです。裁判官は,確実でないことは事実として認定しないようにしますし,確実でない場合の対処の仕方として立証責任に関する諸原則が存在します。それでも間違ってしまうことがあるものだから,冤罪事件などが発生してしまうんですね。

そういう場合の判決の効力についての考察も私の本職のテーマの一つで,これまでいくつかの論文を書いてきましたが,評判はあまりよくないようです。ケチをつけているとしか感じない人が余りにも多いからではないかと思います。しかし,冤罪は冤罪なので,どこかの新聞社の誰かのようにぐずぐずしていないでさっさと自分の非を認めてしまったほうが潔い態度だと思うんですけどね・・・

権威と名誉を失うことを恐れる気持ちが強すぎるか,自尊心が強すぎるのではないかと思います。

私自身は地位も名誉もない人間なので,今後も率直にものごとを考えるという姿勢でやっていこうと思っています。

投稿: 夏井高人 | 2014年9月13日 (土曜日) 18時00分

夏井さん、いつも私の記事を紹介していただきありがとうございます。

昔は、歴史はさまざまな観点から公平に記述されているものと考えていましたが、そうではないことが今は確信しています。

いつの時代もどこの国でも、為政者は為政者にとって都合の良い歴史を国民に広めようとするものだと考えています。そのような意図で書かれた書物をいくら研究しても、その当時の為政者の描いたストーリーを踏襲するだけで、国民はその歴史観に洗脳され続けるだけです。

現在の歴史学者の多くは、裁判の原告側の主張をそのまま広めているようなもので、本当に何があったかを公平な観点から研究していないような気がしています。

投稿: しばやん | 2014年9月13日 (土曜日) 08時16分

しばやんさん

コメントありがとうございます。

とても勉強になる記事ばかりで,いつも感謝の気持ちで拝読しております。

私は法律家ですし,全く異なる興味関心と方法論で研究を進めております。ところが,しばやんさんが疑問に思われる諸点についてはどういゆわけか私も疑問に思うことが多いです。

私の研究の上でもとても参考になります。

廃仏毀釈は古代から存在しております。いろんな考え方があり得ると思います。よってたつ立場によって極端に異なる意見が形成され得ることは当然のことでしょう。

しかし,あくまでも学問の範囲内の問題としてとらえた場合,単に歴史学や宗教学というだけでは解明できない部分がいっぱいありそうですね。

目下,経済学的アプローチとしてあれこれ考えているところです。

投稿: 夏井高人 | 2014年8月25日 (月曜日) 12時51分

読んでいただいたうえに、紹介までしていただき感謝です。

このテーマは、お寺に生ませ育った私にとっては、ルーツ探しのようなところがあります。
しばらくこの話題でがんばる予定です。

投稿: しばやん | 2014年8月25日 (月曜日) 12時41分

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