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2014年8月 3日 (日曜日)

Bitcoinは通貨か否かをめぐる議論

下記の記事が出ている。

 Bitcoin isn't a currency, Bitcoin advocates argue
 Washington Post: August 1, 2014
 http://www.washingtonpost.com/blogs/the-switch/wp/2014/08/01/bitcoin-isnt-a-currency-bitcoin-advocates-argue/

一般に,どんな物品やサービスでも需要があれば価格が成立し取引対象となり得る。

その物品やサービスが電子的なトークンに過ぎない場合でも同じだ。

この場合,取引対象となるか否かは,その対象が通貨であるか否かと全く関係なしに成立する事柄だ。

次に,需要の高い物品やサービスは多種多様な物品やサービスと交換可能となるので,外見上,汎用性の高い交換価値を有する物品やサービスであるかのように見える。

このことは,電子的なトークンに過ぎない場合でも同じだ。

しかし,冷静に考えてほしいことは,それは,単純に程度の差の問題に過ぎないということだ。

汎用性が極度に高く,誰もが通貨だと思うような物品やサービスであっても,その発行主体が消滅または破綻すれば,たちまち需要がゼロになり交換価値もゼロになるので,結局は,定性的に交換価値を維持可能な財貨は一切存在し得ないという理解が最も正しい。

したがって,経済学上の問題としては,「通貨は存在しない」という論理が最も純粋に突き詰めた論理となるはずだ。逆から言うと,通貨を論ずる経済学は,論理の徹底を欠いている。「通貨」の定義を法的概念に求めておきながら,法的概念とは別の経済理論を構築するタイプの学説もあるが,これは奇妙な論理だと思う。

経済学において大事なことは,需要というものの本質を見極めることであり,個々の財貨や通貨等の社会現象は論証のための素材の一つに過ぎない。論理それ自体と事象とは異なる。

その点において,根底から間違っている経済学説が存在する。

法解釈論としては極めてシンプルで,法律上通貨とされているものだけが通貨だ。それしかない。

Bitcoinは電子的なトレーディングカードのようなもので,欲しい人が多ければ自然と需要が発生し,現実の通貨と交換することが可能なレベルにまで至ることができる結果,現実の通貨との交換という中間処理が可能なことを支えとして,社会的には通貨的な機能を営んでいるだけに過ぎない。

また,個人間で物々交換することは自由だし,役務役務交換をすることも自由であり,役務物交換をすることも自由だ。その役務や物品が電子的なものであっても同じだ(民法解釈論上は交換契約や両替契約類似の無名契約ということになろう。)。

おそらく,このように交換可能な状態にあることを,「電子通貨」と名付けているだけに過ぎないと考えている。

そのような社会現象が成立可能なのは,単に需要があるからだとしか説明できない。

一番大事なことは,誰がそれを需要し,なぜ需要しているのかという事実を丹念かつ徹底的に探究し続けることだと思う。

いろいろと関連論説を読んでいるし,講演等も聞いているが,これまでのところ、100点満点評価で5点を超過するものを見出すことができない。

もうちょっと真面目に勉強してほしいと思う。

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