« SSDの寿命 | トップページ | 米国:タリバンと関係を有するとされるサイバー聖戦実行者である者に対し,拘禁刑12年6月の判決 »

2014年7月17日 (木曜日)

女性を裸にして楽しむことしか考えられない下品な人々

女優は脱がなければならない,あるいは性交シーンを演じなければ一人前ではない・・・といった観念から逃れられない下品な人々が支配的である限り,日本の映画業界に未来はない。

きちんとした舞台芸術では,裸になることなどないけれど,それでもしっかりと男女の情愛を表現することができるし,逆にそれができなければ一人前の俳優さんではない。

裸を見たければストリップ劇場に行けば良いし,女性を裸にしたければストリップ劇場の興行主になれば良いと思う。

誤解を避けるために付言しておくと,ストリップは,生きた裸体を素材とする芸術の一種として理解することが可能なので,そのような意味においては,それ自体として,決して下品な職業だとは思っていない。下品だと考えるかどうかは,文化や価値観の相違に基づく。

大事なことは,何でもかんでも混同し,同一視してしまうことはいけないということだ。まして,自分が特定の女優の裸を見たいという下劣な欲望を持っている者が,その欲望を合理化するために「裸にならなければ一人前ではない」といった映画評論等を書くことについては,私は,評論でも何でもなく,単なるスケベに過ぎないと思っている。

ここでも誤解を避けるために付言しておくと,「スケベであること」それ自体は,人類の繁殖のために不可欠なことなので,悪いことだとは全く思っていない。全ての結婚は,文化人類学的には「社会が特定個人のスケベを公認するための社会的儀礼の一種」として考察することが可能だ。

ただし,TPOをわきまえないといけない。それをわきまえないと,セクハラやストーカー行為その他で問題となり,人生を誤ることもあり得る。

日本では,ハレとケを巧みに使い分けることによって,自己矛盾しがちな性の文化を上手にコントロールし,社会的に破綻をもたらすことのないようにしてきた。そのことも正確に理解すべきだろうと思っている。

|

« SSDの寿命 | トップページ | 米国:タリバンと関係を有するとされるサイバー聖戦実行者である者に対し,拘禁刑12年6月の判決 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« SSDの寿命 | トップページ | 米国:タリバンと関係を有するとされるサイバー聖戦実行者である者に対し,拘禁刑12年6月の判決 »