宮内則雄(茂木和平監修)『新説 日本人の苗字とその起源-縄文人・弥生人のあだ名としての苗字』
Amazonから届いた下記の書籍が届いたので読んでみた。
宮内則雄(茂木和平監修)
新説 日本人の苗字とその起源-縄文人・弥生人のあだ名としての苗字
批評社 (2011/01/25)
ISBN-13: 978-4826505383
茂木和平氏の『埼玉苗字辞典』をベースとしている。
http://homepage1.nifty.com/joichi/
基本的には,通説に従い,朝鮮半島からの渡来説を前提にした考察結果なので,古名を朝鮮語で解釈するという手法が採られている。この朝鮮語なるものがやや面倒で,魏晋南北朝のころの古代中国東北部周辺に主流であった語とほぼ同一の語群と考えるかどうかで相当異なった解釈結果が出てくるだろうと思う。
学問の自由はあるので,一つの解釈としてはとても参考になる。特に注目して読んだのは,古代の阿部氏の「阿」を朝鮮語ではどのように解するべきかというあたりだった。この本の主張に従えば,漢語の「我」と同じような意味だということになるだろうと思う。また,「倭人」も「阿人」となり,「倭国」も「阿国」ということになるという論理的帰結になる。「阿部氏の国」という意味か・・・ちなみに,魏の曹操の幼名は「阿満」だ。
古代の阿部氏は,秦族と同義なので,秦族の宗家ということになるのかもしれない。後に,秦氏は,東日本中心の支族と西日本中心の支族とに分かれるが,これは,天孫降臨の際の国譲りと大いに関係がありそうだ。
なお,この本では,主に東日本にある「苗字」(←「氏」ではない)を中心にして論じている。
西日本で同じような研究をしたくても,いわゆる差別問題が非常に大きな社会問題として存在しており,なかなか難しい状況が発生することを想定しなければならない。西日本は厄介なところだ。
東日本(特に北部)では富が集中するような巨大都市が発達しなかったので(江戸でさえ,徳川家康がやってくるまでは寒村に過ぎなかった。家康は千代田村を現在の茨城県に全員移住させた上で,その地に江戸城を築造したのだが,千代田村の現在の農業従事者人口等を調べてみれば,当時の千代田村の規模や様子をある程度まで推定することができるだろう。ちなみに,「千代田」という名は非常に意味深な名前だと思う。),差別問題がないとはいわないが,西日本とは社会環境が全く異なる。西日本しか知らない人々は,そういうことを全く理解できないことが少なくないようだし,その逆もまたしかりなので,まず見解の一致をみることを期待できない。それゆえ,賢い人はこの問題を絶対に話題にしない。
おそらく,そういうことを考慮した上での研究成果ということなのだろう。
しかし,古代からの流れを論述しているので,結局,日本全土と朝鮮半島の古代史を論述している。
読んでみて「これは違うのではないか?」と思う部分も多々あったが,まあとにかくよく調べており,一般論としても「広く多様な見解を知ること」は非常に重要なことなので,その意味で勉強になった。
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