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2014年7月13日 (日曜日)

遠山美都男『日本古代史の読み方 456-785』

昨日,たまたま駅の書店でみつけ,購入して読んでみた。

 遠山美都男
 日本古代史の読み方 456-785
 中経出版 (2013/10/31)
 ISBN-13: 978-4046000262

雑誌・歴史読本に連載されていたものを1冊にまとめたもののようだ。

遠山美都男氏の著作は,基本的に『日本書紀』について虚構説をベースとしているので,その見解に対して批判的な立場からは評価できない書籍ということになるかもしれない。

しかし,どのような見解であっても,完全に全部ダメという見解は少ないし,完全に全部素晴らしい見解というものもない。そもそもタイムマシンが存在しないので,全ては乏しい史料からの推論(事実認定)という思考作用の結果として生まれる主観的な産物でしかあり得ない。このことは,私自身が推論している古代の場合でも全く同じことだ。

そういう前提で,注意しながら読んでみると,非常によく史料研究がなされていることは間違いないと思う。ただ,史料は証拠の一種であり,かつ,その意味内容が証拠価値を有するものなので,どうしても主観的評価の相違によって史料としての意味付けが異なってしまうという結果になっているのに過ぎないのだと思う。

これらのことは,現代の裁判官が書く判決でも全く同じことだ。

考古学上の発見などが次第に蓄積されてきており,戦前及びGHQ統治時代には思想統制の目的で禁書または危険思想として廃棄されてしまったような書籍・資料が再発見された再評価される時代となってきたので,今後,日本の古代史はどんどん書き換えられることになるだろう。

ただ,ある部分については政治的限界はある。

それは,古代ではなくまさに現時点での真の統治そのものの根幹にかかわる部分だからだ。しかも,それは,例えば,政府に反対している左翼系の人々でさえ本当は支配者側に回っている場合があるというような具合に極めて複雑怪奇なものなので,ものごとについて思索する場合に単純化しすぎる傾向のある人にとっては厄介な社会的障害の一つであるかもしれない。

所詮,社会というものは,支配者と被支配者との複雑な組み合わせて構成されており,この構図が消滅することはあり得ない。

そこらへんのことをよく考えながら,奇妙かつ幼児的な理想論や観念論に依拠して演繹的にものごとを考えるのではなく,時間がかかっても地道に帰納的にものごとを整理して評価し直すという態度のほうが正しいのではないかと常に思っている。

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