人類は少しも進歩していない
特定の血族関係にある者(またはその集団)だけが支配者になるという社会的構造は古代的なものとされている。正確には,封建時代もそうだったので,封建時代は古代のバリエーションの一種だと考えるのが正しい。
民主主義の時代ではどうか?
戦前,民主主義は無政府主義と呼ばれた。現在からみると非常に奇妙なのだが,実は少しも奇妙ではない。なぜなら,特定の血族関係にある者(またはその集団)だけが支配者となって統治権を有する社会なので,それ以外の者が支配権を握ることは,すなわち「正しい政府」ではないからだ。原敬が暗殺されることになった遠因もまた,そこらへんにあるのかもしれない。
さて,資本主義社会が進行すると,当然,貧富の差が生じる。しかし,これは資本主義だからそうなるのではなく,利益を最終的に獲得する者が集中する構造をもつ社会の場合,古代でもそうだった。曹操の屯田により,冨がほぼ全て曹操に集中する結果となったことは有名なのだが,曹操の時代は古代に属する。
資本主義の問題を解決するという名目で勃興した社会主義や共産主義でも同じだ。やはり世襲がある。現在の中国をみればそのことが露骨に表現されている。しかし,世襲を禁止することができない。なぜなら,特定の血族関係にある者(またはその集団)が支配者だからだ。
それでは,新資本主義の場合にはどうか?
一見,世襲とは関係なさそうに見える。しかし,ライセンス契約にみられるように,その利益獲得の基本モデルは「家元制度モデル」であり,経営者または出資者の多くが古代~封建時代の貴族や王族の子孫である場合がしばしばある。日本のベンチャー企業等でもそうだ。一見,全く関係なさそうな場合であっても,その姻族等がそうである場合や,養子縁組や御落胤の場合があるので,大量観察的にはやはり何も変わっていない。
要するに,世界は,全体として,古代から続く特定の血族関係にある者(またはその集団)の支配へと戻る大きな運動の渦中にあるとみられる。
このことは,アメリカ合衆国でもロシアでも全然変わらない。
日本と英国は事情がよく似ており,具体的な統治権・執政権はもたないにしろ,君主が君臨する国なので,形式的にも古代のままだということができる。
私は,共産主義者ではないし,優越する能力がある者や結果を出した者にはそれ相応の報酬があるべきだと考えている。
しかし,何もないのに,単に世襲というだけの理由で利益を獲得できる権利が固定化してしまった社会は,例外なく,破たんしてきた。
中国の諸王朝をみても,特定の血族による支配が長続きした例は少ない。漢や唐もその例外ではない。官僚組織が世襲になっている場合には,支配者の血がとだえた場合でも,社会構造それ自体を維持しないと自分の生存が危うくなるため,集団としての世襲が固守されることになる。それゆえ,特定の王統が途絶えても,その後,しばらくの間は国家が継続されることになる。しかし,それは何も問題を解決できていない状況なので,いずれ国が乱れて滅ぶことになる。
いずれにしても,新資本主義の場合と共産主義の場合を含め,理論でものごとを考えてはいけない。現実に指導者または支配者となっている者や出資者や軍司令官等になっている者がどのような血族・姻族に属するかを知ることが大事だ。
誤解を避けるために付言しておくと,私は,そのような支配構造を破壊すべきだと述べているのではない。
正しく知ることが大事だと述べているだけだ。
人類は,自分だけが可愛い動物なので,自分の子孫しか繁栄しないようなポジションを構築しようと努力し続けた。それは人類の自己保存能力を支配している遺伝子がそのように命じているからそうしているのであって,自己の自由意思に基づくものではない。ここでは自由意思など存在しない。憲法に保障する「生存権」も自己保存遺伝子または利己的遺伝子という角度から考えてみると,むしろ当たり前のことを規定しているのだということを素直に理解することができる。現実に実現できるかどうかは物理的な武力の優劣・多寡によって決定される。
このような観念に従って歴史学というものを見直してみると,単純な「進歩論」は荒唐無稽だということに気づくことができる。そして,真実は,極めて簡単な構造になっていることを理解することができる。
マルクス主義の歴史学は完全に誤りであり,マルクスが依拠したダーウィンの進化論だけが正しいと考える。
自由主義の立場をとるにせよ共産主義・社会主義の立場をとるにせよ,「進歩」という観念は全て破棄すべきだろうと思う。
ダーウィンのいう「適者生存」という意味での「進化」しか存在しない。
だから,学問分野の別を問わず,「生態学」の知見はとても重要なのだ。
そして,研究手法の中でもとりわけ「要素解析」と「分類」に関する手法が重要で,法律家を含め様々な分野に属する学者や実務家等の中で荒唐無稽な理論をふりかざす者の多くは,要素解析と分類に関する能力と技能が著しく劣っている場合が圧倒的に多い。
私は,そのような能力がなくても別に構わないと思っている。
しかし,そのような能力を要求されることを知らずに特定の職種についてしまった場合,不幸が発生する。本人が崩壊して破滅するか,または,他者を崩壊させ破滅させることになる。前者の場合には社会は維持されるが,後者の場合には社会全体に大きな不幸が訪れる。
なお,日本の場合,この種の情報を最も多く握っているのは歴代の栄典局(栄典官・式部官等←機能論的な手法による機能名であり正式の職名ではない。)ということになるので,実質的な権力の所在もそのことによって推測することが可能となる。
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日本の外交をみていても,西欧流の理論で考えると評価を間違ってしまうことが多い。
特定の為政者が自己の一族だけを優遇するためにそれらしい大義名分をみつけて施策を実施しているだけだと考えると極めて明瞭な評価をすることができる場合が圧倒的に多い。祖が中国や朝鮮から渡来したと信じている者の場合,中国や朝鮮との外交を配慮しているように見える場合でも,既に深刻な環境汚染によって人が住めない地となりつつある極東地域から自己が祖と信ずる種族の子孫だけを来日させ帰化させようとする施策の布石に過ぎないことがある。これは完全に華夏の発想であり,自分の属する一族だけを繁栄させようとするという文化的・思想的慣習のようなものに基づくものだと言える。このような場合,日本国政府だけではなく相手国政府もまた愚弄されていることになることを理解することが大事だ。
しかし,日本は「皇祖」が精神的な意味でのトップであり,その子孫であるとされる天皇が現実的な最高位となる国だ。天皇ではない者の官職では征夷大将軍が最高位とされている。家康が300年の繁栄を誇ることができたのに対し,当時世界最高の天才の一人だったかもしれず曹操に匹敵する将軍であったと考えられる信長が本能寺で没することになったことの分岐点はそこらへんにあるように思う。
キリスト教世界では,現実の表現形式は少し異なる。しかし,本質は同じではないかと考えてみると,すっきりとした世界観を描くことができるだろう。
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