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2014年1月 1日 (水曜日)

万斛船

中国の古代における船の規模がどれくらのものであったのか確実なことは分からない。

しかし,遅くとも唐の時代には巨大艦船が多数建造・運用されていたことは疑いがない。

有名なものとしては「万斛船」がある。

排水量1000トンを超えるのものがあったようだ。

さて,白村江の戦闘では,和(倭)・百済の海軍と唐の海軍との激戦があったと思われる。

そこで用いられた軍艦はどのようなものだったのだろうか?

通説によれば,日本の田舟のような小型の船舶だったという。これでは,倭寇のイメージそのままではないだろうか?

私は,正規軍である海軍対海軍の総力を結集した闘いであったと推定する。

唐からも和(倭)からも多数の巨大軍用艦が出撃し,衝突したのではなかろうか?

古代の黄海海戦と言えるようなものだったのかもしれない。

ずっと後代の日清戦争の際の黄海海戦では,中国には西洋方式の大型大砲を搭載した鉄鋼蒸気船である巨大軍艦があったにもかかわらず,日本国の軍艦のほうが物理的性能においても兵士の練度においても勝っていたので,交戦の結果,日本海軍の勝ちとなった。遠因としては,中国海軍の将兵の中に非常に優れた人材が多数存在していたにもかかわらず,軍を政治的に支配していた軍閥が腐敗・堕落し切っていたということがあるかもしれない。中国は,統帥権が一元化され統制のとれている時代には恐るべき侵略国として周辺諸族を圧倒することができるし,現実にそうだった。中国の歴代王朝が滅びるときには,それに先立ち,閨閥や軍閥などの腐敗・堕落が必ずある。現代の中国がそのいずれの状況にあるのかについては,専門外であるのでよくわからない。

問題の白村江における戦闘の際には,物理性能においても兵士の練度においても数の上でも唐軍のほうがずっと勝っていた可能性が高い。

和(倭)の海軍としては,善戦しても敗北やむなしの戦だったのではないかと推測している。

なお,和(倭)の軍艦の規模を過小評価してはならないことは,日本書紀をみてもわかる。

枯野船(加羅の船)を廃船とする際,それを焼却したところ長年にわたる使用の間に船材である木材に浸み込んでいた塩分が灰と一緒に結晶として残り,大量の塩を得ることができたことから五〇余国に分け与えたとある。

廃船の焼却処分により得た塩の分量がどれだけのものであったのか日本書紀の記述を鵜呑みにすることはできないが,それにしてもかなり大きな船舶であったことは否定しようがないのではないかと思う。これを誇張として片付けてしまうのはおかしい。

かくして,和(倭)は,相当大きな軍船を自由自在に用いることができる状況が存在していたと推定することも可能となる。

もちろん,時代による相違はある。

何しろ,何百年にもわたる時代の出来事だ。

しかし,和(倭)の船がどのようなものであったのかについて,ずっと後代の倭寇図のようなものだけから推測するのは,根本的に間違っていると思う。

なお,巨大艦船のことをなぜ「万斛船」と呼んだのか・・・それが私にとって最大の興味を惹く事柄だ。

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