古代の富津市周辺
現在よりも海面が20メートル高かったと仮定してシミュレートしてみた。
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広域図はこんな感じ。
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『古語拾遺』には,「阿波の斎部を分ち,東の国に卒往きて,麻・穀を播殖う。好き麻生ふる所なり。故,総国と謂う」,「古語に,麻を総と謂う。今,上総・下総の二国と為す,是なり」,「阿波の忌部の居る所,便ち安房郡と名づく」,「今の安房国,是なり」とある。
この阿波から移住し安房国の名の語源となったという忌部(斎部)支族の本拠地がどこにあったのかは不明だ。通説は,現在の館山周辺だろうとしている。しかし,国府所在地である現在の市原市付近だったのかもしれない。現在の富津あたりもその候補地となり得るのではないかと思う。
なお,『古語拾遺』にある麻を植えた場所とは,養老渓谷の北にある「朝生原」という場所かもしれない。ここには,「山神社」と「白山神社」がある。「朝生原」の北には「石神」というところがある。密教との関係を考える上でも非常に興味深い。なお,九州には「山神社」と「海神社」が対になって所在しているところもあるが,養老の滝周辺には「山神社」の名だけが残っているようだ。
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