漢方と蘭方
司馬遼太郎に『胡蝶の夢』という作品がある。『花神』と併せて読んでみると,幕末~明治の時期における医学・薬学の歴史的変化を何となく感ずることができ,好きな作品のひとつだ。
『古語拾遺』には,忌部(斎部)氏と中臣氏との争いが描かれており,歴史的事実としては,結局,中臣氏の圧勝に終わって今日に至っている。
ちょうどそのころ,古来の薬方が全国各地から集められ『大同類聚方』が編纂されたのだが,実際には『医心方』のほうが公式のものとして認められ使われることになったこととちょうど符合しているように思う。
しかし,敗北した忌部氏(斎部氏)は,消えたのではないと思っている。
人生の時間が少なすぎるので精密な調査のために時間を割くことができないのだが,推測としては,ずっと後の時代である江戸時代になって本草学者として名をあげた人々の多くが忌部氏の末裔だったのではないだろうか。
これに対し,幕末以降優勢になり,英国や独国の医学に変化しつつも現代の医学に直接つながっている蘭方は,もともとは漢方(本草)を専門とする医師の中から出たものとはいえ,実は忌部氏とはライバル関係にある氏族を祖とする者が多かったのではないかとの疑いをもっている。
要するに,歴史は繰り返すわけで,現時点でも同じようなことが姿を変えた社会現象・経済現象・政治現象として現に存在しているように思う。
日本の法制及び法執行を考える上で,神代から続く日本国の真の歴史を正しく踏まえないと良き為政者になることができないということを痛感する。
私には到底無理だ(笑)。
まして,世界各国にそれを説明すること(とりわけ征服者であり先住民を陵辱・虐殺し文化を略奪・抹消して政治的支配を確立した歴史ゆえに「自分のほうが偉い」と思っているような人が比較的多い国々)に対して理解させることは土台から不可能なのだろうと思う。肯定すれば自己の存在根拠を問われることになるので,否定するという選択肢しか存在し得ないからだ。しかし,それでは永遠に殺し合いが続くことになる。だから,過去のことを理由に現在を非難してはならないのだ。水に流して忘れるべきだ。お互いそうなのだから・・・と主張してみても,そのことを理解・肯定しようとするはずがない。
放置していれば,現在でも汚染が深刻だが今後ますます悲惨で回復困難な状況となり,生物として生命活動を維持できなくなることが客観的・物理的に完全に明らかとなっているので,黙ってこれから先の何十年か傍観していれば良いと思う。マスコミは少しも報道しないが,致命的な汚染物質を含む廃棄物がどのようにしてどこに捨てられているかを知れば,(当該国々の為政者を含め)誰でも私見に完全に賛成することだろう。
当該国々では腐敗・堕落・汚職が横行しているため,現時点では公式には表面化しておらず,その国々の人民に対して真実が全く知らされていないのに過ぎない。
そういうわけで,争うためのエネルギーと時間を別のことに向けたほうが得策だ。
自分に可能かつ必要な範囲で,こつこつと勉強を続けることにする。
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