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2014年1月22日 (水曜日)

茨城県鹿島神宮付近の古代地形

現在よりも海面が20メートル高かったと仮定してシミュレートしてみた。

 http://cyberlaw.la.coocan.jp/Documents/map51.jpg

まことに立派な軍港だと評価するしかない。

この規模であれば,天ツ船(海ツ船)と呼ばれる大型軍船を多数停泊させることができる。

そして,鹿島神宮は,「武甕槌大神」をまつる神社なので・・・これでほとんど解明できたかもしれない。

おそらく,東征のための露払い(先遣隊)として先に侵攻していた大国主神と少彦名神の海軍部隊は,この地の統治の任を解かれ,更に北方へと軍を進めたのだろうと思う。要するに,国譲りは出雲だけで発生したのではなく,場所を移動させながら全国規模で起きた歴史的な出来事だと考えられる。

大洗磯前神社の縁起は,そのような経緯を反映するものだと理解すると非常にわかりやすい。

少彦名神は,常世へはじきとばされたのではなく,常世の地すなわり常陸に押しやられたと解釈することができる。常世の地は根の国よりも更に奥深いところにあるとされている。もし,関東地方が根の国であるとすれば,国名としても一致していることになる。ところが,常世の国の先にも陸地が存在した。そのため,土地の命名に困り,「常陸」の更に奥としての「陸奥」と命名し,更にその奥地については,朝廷の支配権外であるという意味での「蝦夷」と呼んだのではないだろうか?

以上のように解釈してはじめて,陸奥の国に南方系のラン科植物である石斛が存在する原因を合理的に説明することもできるのだ。

石斛は,もともとは,間違いなく,少彦名神を名乗る氏族によって植栽された栽培植物だと思う。

(余談)

同じような関係で説明できる歴史的出来事は,後代にもあり,忌部氏と中臣氏との関係でも言えるような気がするし,そもそも古代に起きた出来事がそのまま反映されているのだと考えることもできるかもしれない。

それゆえ,忌部氏(斎部氏)は,長い間に全国に散らばってしまった同族の者の協力を得て,『古語拾遺』を書き上げ,天皇に上奏することができたのではないかとも考えられる。

しかし,権力を復活させることはできなかった。

これは,現代の企業社会でも全く同じではないかと思う。

さんざん苦労して子会社が市場を開拓しても,親会社から重役が降りてきて手柄を全部横取りするということがしばしばある。しかも,その重役がもともとは遠縁でも親族だったりすると,憎さ百倍ということになるのだが・・・

狭い日本の国土の中ではぐっとこらえて暮らさなければならない。

大きな枠組みからはずれてしまうと,決して元に戻ることができない。

それが日本の「風土」というものだ。

ちなみに,神事に「藤(フジ)」を使うのは古代海部氏の系統だけに限られるらしい。

「藤」は「藤原氏」にもつながるかもしれない。

「葛木」は,草本で柔らかい「クズ」に似ているけれど木質の硬い茎をもつ点で異なっているつる性植物すなわち「フジ」を意味するのではないかと思うことがある。

更には,全国各地の神社において,大国主神を主とし少彦名神を従とする扱いになっていことも,実は上記のことと同じことなのかもしれない。

古代の氏族間では複雑に姻戚関係が結ばれているので,文字通り一筋縄ではいかない。

これまた現代の官僚社会や企業社会でも全く同じだ。

この点では,人類はほとんど進歩していないのだろうと思う。

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