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2014年1月 1日 (水曜日)

法の支配

昨年,あるところからアドバイスが欲しいと言われ,「法治主義を外さないようにすることだ」とアドバイスした。

「法治主義」は法学上または政治学上のレトリックの一種に過ぎないあるかもしれない。

どう考えても現実はおよそ程遠い。

しかし,人類社会が目標とすべきものであるし,現実に少しでも近づけようと努力することは可能だ。

また,別の機会に,米国から来日中の某氏から来るように連絡があり,その某氏と会った。実質的にはCIAによる喚問のようなものだと思った(笑)。

意見交換の中で,NSAの機密リーク事件のことを問われたので,私は,「Snowden氏は無罪だ」と答えた。

面と向かってそのように答えた人はそれまでいなかったのではないだろうか。その某氏は驚きの表情だった。

私がどうしてそのように思うのか,理由を問われた。

細かな法律論を英語で説明した後,「簡単に言えばrule of lawだ」と述べた。

反論はなかった。

一般に,法は社会統制のためのツールの一種に過ぎないので,事実そのものではない。

しかし,事実だけを尊重すると,どんなに非道なことでも実力支配を優先せざるを得なくなる。

しかし,事実上の実力支配が非道である場合,本来の意味での「法の支配」は,そのゆがみを修正するための装置として機能し得る。

過去数年間,「戦時と平時が常に共存する状況」について研究を重ねてきた。

今年は,そのような状況における「法の支配」を更に深く考えなければならない。

健康状態が必ずしも良好というわけではないので,かたちあるものとして私の法哲学を世に問うことができるかどうか,かなり危ういと言わざるを得ない。

しかし,生ある間,可能な努力を重ねたいと思う。

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