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2014年1月23日 (木曜日)

古代の海水面が20メートル高かったとすると,どんなことが分かるか?

古代の海水面が現在よりも20メートル高かったとすると,当時の日本は,沖積平野が基本的に存在しない島国であったことになる。

すると,各地の耕作可能な地域において生存可能な人々の総数は,自ずと限界があることになるし,日本国内全体で生存可能な人口もそんなに大きくないということになる。

同様に,仮に当時の大王が九州を平定して地方豪族らを従わせた後,東征を開始したと仮定した場合,そのために動員可能な兵士の人数がそんなに大きくなかった(兵士の総数が数万という単位では絶対あり得ず,最大でも千人単位であり,個々の部隊は大きくても百名程度の部隊となり,大型軍船1隻に1部隊が乗船して移動するという戦闘単位で行動したと推測することが可能かもしれない。)ということも自動的に決まってしまうことになる。

おまけに,朝鮮半島の人々と厳しい敵対関係にあったという説(←私見は反対)を前提にすると,必然的に,その防御のために相当多数の兵士を九州に残さざるを得ないから,東征に動員できる兵士の数はもっと少なくなる。私は,そうではなく,国内関係だけではなく国際関係においても東征に十分な兵力を割き,兵站を十分に確保すことのできたからこそ,東征が可能になったと考える。どういう歴史的経過をたどればそのような状況が現実に発生し得るか・・・冷静に考えてみれば,誰でも同じ結論に達するしかないだろうと思う(=当時,「三韓国」は常に交戦状態にあった。攻撃と守備のためにせいぜい百名単位の兵士しかいなかったはずの各国がそれらの兵員を合理的に配置し,兵站を確保しないと国がもたない。だから,三韓国中のどこかの国が日本国を侵略するなどということは兵学的な見地及び経済学的見地からは絶対にあり得ない。それゆえ,いわゆる騎馬民族説は,基本的に間違いだ。軍馬がどれだけの草を短期間に食い尽くすかを考えてみれば即座に理解することができる。道路というものがない時代に大型軍船に軍馬を乗船させて移動するためには,相当多数の軍馬用兵糧運搬船を要する。道路というものが存在しない古代において東征が可能だったのは,海軍陸戦隊のような精悍な歩兵部隊と優秀な弓兵部隊をもち,移動手段として多数の大型軍船を自由自在に使いこなすことのできた氏族に限定されると考えるほうがより合理的だと思う。)。

もっとも,鉄剣や弩(おおゆみ)のような最新鋭の強力な殺人兵器を知らない人々を相手にする交戦では,現在考えられているよりもずっと少数の兵士で極めて容易に平定することが可能だろうと思う。また,大きな軍船でやってくるだけで「神が来た」と思わせることは十分可能と思われる。

他方,古記録中には渡来人(帰化人)がどれくらいの人数の人々を引き連れて日本にやってきたかということに関する記録が残存している。上記のように当時の日本の推計人口から考えて,その渡来人集団の人数がどのような意味をもっているかを合理的に推論する必要がある。畿内では養えないからこそ,(明治時代の屯田兵と同じように)東国に移住させたと推論するのが合理的なのではなかろうか。

そして,その後,海退がはじまり,耕地が増えた。それによって増加する人口に対応する耕地と領土が自然に増え続けたことになる。別な表現をすれば,侵略戦争をしなくても領土が物理的に増加し続ける状況にあった。

江戸時代には,干拓などによって土地が更に増えたし,それによって人口の増加をまかなうことができたわけだが,海水面が上昇しない状況の下にあったからこそそれが可能であったことは言うまでもない。

結局,日本では,地球全体の規模での地質学上の状況という観点からは,非常に幸運な時期に「東征」が起きたと理解することができる。

しかし,2000年前には海水面が20メートルも高かった。

これは地球全体の歴史の中ではイレギュラーな単なる偶然かもしれず,本来の海水面は20メートル高い状態がノーマルなのかもしれない。

仮にそうであるとすれば,2000年後には20メートル高い状態に戻っている可能性があある。

人類の生産活動とは全く無関係に,地球は運動をし続けている。

ところが,人類の農業革命と産業革命は,単純増加というかたちで人口の爆発を必然的に伴う。その結果,物理的な領土拡張の必要性が必然的に生ずることになる。

このことをどう考えるかは,それぞれの世界観や哲学等によって異なるだろうけど,無視することはできない社会のメカニズムの1つではないかと思う。

なかなか難しい・・・

私は,こういう分野の専門家ではない。

今後,経済考古学とでもいうか,例えば,海水面の高さや当時の農業技術水準や当時の平均気温などの前提条件を変えると当時の国民総生産がどうなるかを推計するような学問領域が発展することを期待したい。

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