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2013年12月24日 (火曜日)

遠山美都男『敗者の日本史1 大化改新と蘇我氏』

下記の書籍を読んだ。なかなか面白いと思った。

 遠山美都男
 敗者の日本史1 大化改新と蘇我氏
 吉川弘文館 (2013/11/1)
 ISBN-13: 978-4642064477

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(余談)

この書籍とは直接の関係のない一般論だが,勉強を重ねるにつれ,「古代の氏族をどうとらえるか」について疑問に思うことが増えてきた。

それは,「当時の有力豪族は,政略結婚等を通じて多重にからみあった連合体を構成していたらしい」という点ではほぼ異論がないのにもかかわらず,氏族の系統としては単独の系統だけを考えている研究者があまりにも多いという点だ。

例えば,始祖が新羅系であっても百済系や高句麗系などの豪族と姻戚関係をもつと,そこから生まれている子孫は,多系統の雑種ということになる。ただ,(政略結婚の本質から)母方からの精神的影響が強いと推定する場合,例えば,同一の親から生まれた子供達の中でも新羅に親和性を有する者,百済に親和性を有する者,高句麗に親和性を有する者など,かなりひどいばらつきが出ることだろう。

しかも,中国の史書によれば,日本国の豪族は何百人もの妻をもっていたらしいとされている。誇張があることをさしひいてもかなり多数の妻との一夫多妻制であった可能性が極めて高い。

そのように異なる系統と思想を有する王子らに対して,当時の新羅,百済,高句麗などがそれぞれ密接な関係をもとうとしてロビー活動をすることは当然の成り行きというものだと思う。

「国力」というものを考えた場合,朝鮮半島~遼東半島の後三国時代には,もちろん中国が随一であるが,海を隔てた海洋中にある日本国は第二の力量をもっていたはずで,朝鮮半島~遼東半島の三国は国境を相互に接しておりしばしば中国からも圧力を受けている関係で経済的に相当疲弊していた可能性が高い。そもそも高緯度地域なので農業に適さず,国力を増強することが非常に難しい。騎馬民族的な侵略国家として成立するのでない限り軍事力も劣ることになると考えられる。そのような騎馬民族国家であったと考えられる鮮卑族でさえ,人口増加に耐えられずに1000名もの漁業者を倭人の国(おそらく現在の韓国に相当する地域)から略取し,強制的に漁業に従事させたと史書に記録があるから,現在の北朝鮮~中国東北部あたりの諸国は,これまで想像されてきたよりも相当貧しい地帯だったと考えるのが妥当だ。日本に仏教を伝えたとされる百済でさえ,裕福で文化的だったのは上流階級だけだったと推定される。

要するに,日本国は,当時既に相当の大国であった可能性が高い。ただ,朝鮮~満州あたりの諸国とは陸続きになっていなかったため,騎馬兵の大群が交戦するといったこともなく,それゆえに実際の存在形態が正確には知られていなかったということなのだろうと思う。

そして,中国東北部~アムール川~朝鮮半島付近は戦乱が続いていたため,既に日本国に渡来して定住していた古い同族を頼って移住しようとコネをつけておくための賄賂等を提供するために来任し挨拶をする者はいくらでもいたことだろう。

そのような複雑な状況の中で,同一の親から生まれた子供達の中にも海の向こうの政治情勢を反映した政治的派閥争いのようなものが生じるのは必然だったと考える。

古代の大きな争乱はこのようにして生じたものと考えるのが妥当だ。主観的には,「あいつが憎い」というようなものが前面に出ていたかもしれない。しかし,その背後では誰かが操っていた可能性が非常に高いと考えるのだ。ぼんぼんの王子にはそんなことを的確・迅速に推察することのできる能力・経験は(ごくわずかの例外を除いては)ないと考える。このことは中国歴代王朝の歴史をみても言えることで,ぼんぼんに世襲させるとだいたいろくな結果とならず,最悪の場合には国が滅んでしまう。それでも有力豪族の一部は生き残り続ける。中には日本国に集団として移住してきた者なども多数あったろうし,古くは,朝鮮半島の倭人の大半はそのようにして形成された中国系諸古部族の集合体だったのだろうと推定している。それゆえ朝鮮半島南端部にある地域は,小さな氏族が群雄割拠した状態が長く続き,新羅による統一に至るまでは統一国家のようなものが存在しなかった。その新羅さえもが,本当は古代倭人の氏族連合体であったと思われる。

そのような日本国の内外の情勢を冷静に観察していたのは,中国系の非常に高度な教養を有する渡来人及びその子孫(家系)だけだったろうと推定するが,彼らは非常に賢いので,時の情勢の変化に応じて公式の史書を何度も書き換え,その書き換えた産物が現在まで『古事記』や『日本書紀』として伝えられているのだろうと思う。

とにもかくにも,古代を理解するために,現在の一夫一婦制を前提として考えるのではそのことだけで完全に失格だと考える。家族制度とそれを是認するための倫理観は,時代と宗教観によって大きく異なることを認識しなければならない。現在では違法または反倫理的と考えられていることでも,当時では別に普通のことだったのであればそのようなものとして理解すべきで,現在の価値観を過去に押し付け投影してはならない。その意味で,歴史を考察する者は,常に完全に没価値的・即物的であることが求められる。

そういうわけであれこれ考えているのだが,先人の思索の結果を無視することは逆に大きな弊害もあるので,かたっぱしから読んでみている。

その上で,私の研究のために必要な範囲内で,何らかの論文をまとめたいと思っている。私は,考古学者でも歴史学者でもない。また,私の研究は伝統的な意味での考古学でも歴史学でもない。たぶん,全く新しいカテゴリに属する学問体系を構築し続けているのであり,現在の学術各方面の老人達には決して理解することのできない新たな学問世界を創り出しつつあるのだろうと思う。

私は,その時が来るまで待つ。

その時が来るまでは,極めて乏しい資金状況に苦しみながらも,ひたすら臥薪嘗胆。そして,刻苦勉励。

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