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2013年12月16日 (月曜日)

『宋史』中にある日本国の記載はおもしろい

『新唐書』と『宋史』の中にある倭国及び日本国の部分を読んでみた。

とても面白い。

素人の空想に過ぎないかもしれないが,大化の改新の際にかろうじて焼失を免れたが後に散逸したとされている『国記』(またはその写し)が中国に渡り,それを読んだ中国の史家が『新唐書』及び『宋史』の日本国の部分をまとめる際に参照した可能性がある。

なぜなら,とりわけ『宋史』では,『古事記』や『日本書紀』ではまぜこぜになってわけがわからなくなっていたり,人の名が剣の名や地名等にされてしまって意味不明になっている部分が天皇の祖先の名として具体的に列挙されているからだ。当時の史家の空想だけで書けるものとは到底思えない。むしろ,中国に渡っていた『国記』の記載を引き写したものだと考えるのが妥当だ。

『隋書』や『旧唐書』では,聖徳太子が送った使節がひどく傲慢だというような書き方をしており,その後もそのような雰囲気が踏襲されているが,もし使節が『国記』や『帝紀』を携えており,倭人が蛮族ではないという証明にそれらを皇帝に献上したとすれば,中国の皇帝にしてみれば「蛮族のくせに何をいうか! どや顔をするな!」といった気分になるのではないかと思う。

それはさておき,『三国志』の倭国の記述(魏志倭人伝)以降,中国の史書では従前の記述を引き継いだ上で,新たに別の文献資料等から得られた知見を付加するというやり方で記述が増補されてきた。その修正された差分だけを読み,じっくりと考えてみると,非常に面白いのだ。

いずれにせよ,日本の国史は,中国の正史と整合性を保つように日本の古代史を再考すれば,従来の通説とは別の姿のものとして見えてくるかもしれない。従来は『三国史記』や『三国遺事』との整合性ばかりに気を奪われすぎたのではないかと思う。

なお,これら中国の正史中に朝貢の記述があるという事実をもって,日本国が中国の一部であることの証拠であるとの見解があるやに聞いているが,もちろん賛成しない。

清朝に至る皇帝を頂点とする政治体制を廃止し,人民のための国家として成立した中華人民共和国においては,皇帝の私有財産として国家を理解する帝政でなければ成立し得ないような反人民的な考え方を肯定することは,政治的な意味での自己矛盾となる。

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