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2013年12月30日 (月曜日)

朱崖

通説は,「朱崖」を海南島付近のこととしている。典拠は漢書地理志にある。正確には,大陸の南端・海南島に向かう広東省雷州半島あたりを朱崖とするらしい。

しかし,実は,山東省に「朱崖」という地名がある。

 山东省潍坊市寿光市田柳镇朱崖村
 http://www.yigecun.com/cityfild/showcun.aspx?id=0CA272A90DE37D51

私は,古い時代に倭人と比較して論じられた朱崖とは,この山東省の朱崖あるいは朱崖から済州島あたりに移住した人々のことを指すのではないかと思っている。

そもそも朱崖とは水銀(朱)と関係のある地名であり,丹薬を扱う人々であったのかもしれない。

私は,山東省と倭人との関係に着目している。

後代の史書等において「朱崖」を海南島とする注釈がついたのは,単に古代の記憶が失われ,本来の「朱崖」の地が分からなくなってしまったので,海南島付近である「朱崖」と混同されてしまったからなのではないかと思う。

[追記:2014年1月1日]

隠岐国(島根県隠岐郡知夫村の西海岸)に赤壁というところがある。

酸化鉄であるため朱ではない。

しかし,「隠岐」は,もともとは「大きい」であったかもしれない。つまり,隠岐国は大国となる。

この地にある赤壁がもし水銀によるものであるとすれば朱崖となったはずだが・・・

単なる空想に過ぎないので,専門家からは笑われるに違いない。

ただ,後漢書が編纂されていた当時,朱崖の本来の意味が忘れられ,他方では,海南島付近の朱崖だけが公式記録に残されていた場合,妙な混同が生ずることはあり得ると考える。

ちなみに,三国志で有名な「赤壁」の地は,本来は朱崖であったかもしれない。

赤壁の比定地は数箇所あるけれども,いずれも湖南省長沙市と比較的近い。その長沙市で発掘された馬王堆古墳の墳墓には大量の水銀(朱)が用いられていたことがよく知られている。その鉱山(おそらく露天掘り)が長沙市の近くにあったはずで,それがそもそもの赤壁という地名の由来だったかもしれず,そのような朱の採掘・精製にかかわった人々のことを朱崖と呼んだのかもしれない。

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