大宝律令の影響
数週間前のことだが,暗くなってから自宅のある市の駅に帰り着き,駅の近くの駐車場のところまで歩いている間に,目下とりくんでいる法学上の課題を解く鍵が大宝律令にあることに気づいた。
「どうにか論文にすることができそうだ」と思いながら自分の車の後ろのほうを回って運転席のところまで行こうとしたら,車止めにつま先をひっかけて転倒してしまった。
ひどく痛く,目から火花が飛び散るような感じ。
しばらくの間,そのままぼ~~~っとしていた。考え事をしながら夜道を歩くものじゃないと痛感した。
気づくと,すぐ近くの公園の東屋で若いカップルが熱々に抱き合っているのが見えた。もしかすると痴漢だと思われたかもしれない(笑)。
幸い骨折はなく,数週間で快癒した。
その間,仮説が単なる思い付きに過ぎないのか,それとも論証可能な理屈となるのかを検討すべく,何十冊もの古典を読み漁っていた。
目下,ターゲットを絞った上で,『神農本草経』,『本草綱目』,『医心方』,『大同類聚方』,『東醫寶鑑』などと格闘中。
つらつら思うのだが,日本の学問には堅牢で健全なブリッジが必要だ。
日本ではあまりにもタコツボ(←丸山真男の説)が多すぎる。日本国の後進性のゆえにそうなのだろうと思う。『旧唐書』,『新唐書』,『宋史』などをじっくりと読んでいるとその感を深める。
ただし,正しくブリッジを構築すると,現在あるようなスタイルの学術会議や学会(学術団体)の多くは破綻をきたしてしまうことだろう。
そういうものなのだ。
・・・というわけで,現状を打開するためのキーワードは,大宝律令ということになる。
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