似非論理
下記の記事が出ている。
脱原発なら電気代7割UP 再稼働でも保険料負担増の試算も
News ポストセブン: 2013年12月3日
http://www.news-postseven.com/archives/20131203_229385.html
大学で「論理」と「似非論理」を教える場合に最適の素材の1つかもしれない。
この記事は受け売りだけだし,意図は明々白々だし,もともとそういう立場の会社なので,記事を書いた記者のことを批判しているのではない。
記者が引用している論理のことを言っている。
「原発をやめると廃棄のための費用がかかる」
確かにそのとおりだ。しかし,それは最初からわかっていたことで,そのために積み立てをすべき義務があったのにしなかったのだとすれば,電力会社が国を騙し続けてきたことになる。そのように解釈するのが正しい。原発をやめないで続ける場合でも廃棄物の総量がどんどん増えてしまい,日本の国土全部を最終処分場にしても足りないくらいになってしまうだろうけれども,現在の電力料金を維持する限り,やはり廃棄処理費用は蓄積されない。
だから,本当は,電力料金を大幅値上げしまいまま原発を続ければ,ますますもって電力会社が破綻必至となり,しかも,世界中の誰一人として処理不可能な莫大な量の廃棄物が蓄積され続けるという結果になる。
そのような小学生でも計算できる単純な算数ができない者が述べている論理とは思えないので,似非論理というわけだ。
要するに,自分だけは関係がない(後の世代の人々につけをまわす)という発想が基本にある。そのような発想こそが,まさに現在の悲惨な状況を生み出してしまったということについての自己批判が全くない。
日本人としてあまりにも情けない。
加えて,原発にとって最大の課題が存在していることに触れていない。
それは,ウランの枯渇問題だ。
近い将来,ウランの価格が高騰する。もちろん,原発による電力料金も必然的に高騰する。原発を続ければ,100パーセント間違いなくそのような未来になる。
ウランが枯渇したあとには,放射性廃棄物だけが残る。
電力会社を含め,原発関連企業は解散してしまえばよいだろうが,廃棄物は残される。
そのような会社の人間は転職してしまえば身を隠すことができるかもしれないし,社会的批判を免れることができると考えているだろうが,もしそのような悲惨な未来が到来したら,生命・身体の安全が保証されない状況になるかもしれない。
救われるための唯一の方法は,原発産業の終息のために可能な限り尽くすことしかない。そのような努力の中には,代替エネルギーの開発も含まれる。l
私は,熱(赤外線)→電気の直接変換による発電技術の開発を提案してきた。
この技術が実現すると,個人が発電能力を保有することができるようになるので,電力会社というビジネスモデルは当然消滅するかもしれないが,社会は維持される。電力会社が存続しても社会が崩壊すれば,電力会社も存続できない。
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