浜野弘昭氏の講演「食品表示:国際的な視点と日本の課題―健康強調表示を中心として」
昨日,浜野弘昭氏(特定非営利活動法人国際生命科学研究機構特別顧問)による「食品表示:国際的な視点と日本の課題―健康強調表示を中心として」という講演があったので,出かけて聴講してきた。
とても勉強になったし,また,様々なエピソードが含まれており面白かった。
中でも,国際会議等で議長をとることの意味について,日本とそれ以外の国との違いが際立っていることを示唆する例示には興味をもった。
日本には今でも儒教の精神が残されている。だから,裁判官も議長も中立であることを是とする姿勢が(少なくとも建前上では)非常に強い。これは,論語にある「和而不同」や中庸にある「和而不流」の思想に由来するものだろうと思われる。
ところが,儒教の本家本元であったはずの諸国では,とっくの昔に儒教の思想が消え去ってしまっているように思う。だから,議長等のポストを得れば,自国の利益のために最大限に利用することは良いことだと思い込んでいる。
儒教が廃れたことによる良い面はあるのかもしれないが,日本国の為政者が,そのような諸国について,「現在でも本家本元だ」との錯覚を維持しているとすれば,日本国にとっては非常に不利益な状況が生まれかねない。
ここで考えるべきことは,西洋の哲学において「中立」とはどういうことなのかを正しく理解することだろう。
それは,どのような概念が正しいのかという意味でそうなのではなく,西欧諸国の賛同を得られやすい基本哲学を知ることのほうが国家戦略上の有用性が高いということだけを意味している。
ただ,現在の政府にそれだけの知性と教養を求めることは,これまたかなり厳しいことかもしれない。
おそらく,儒教の本家本元であったはずの国々のほうがより早く会得し,それを装う芸を身に付けてしまうことだろう。
悲しいことだが,現実を直視すべきだろうと思う。
そうでなければ,二の手,三の手を考え出すことなど到底できない。
「生存権」とは,即物的には「リソースを奪うこと」を意味するので,当然,他人のリソースを奪うという結果を正当化するための論理と手法を発達させることになる。法解釈学というものはそのための手段の一つに過ぎない。このことは,国際的な環境においても全く同じだ。
日本の法学教育では,Sollenとしての理想論ばかり教えて,即物的なSeinを教える機会に乏しいので,なかなか良い人材が育たない。
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