ルクセンブルグ政府による通信傍受の結果連立政権が崩壊した出来事から考える
下記の記事が出ている。
ルクセンブルク連立政権崩壊-解散・選挙の有無は大公判断へ
Bloomberg: 2013年7月11日
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MPQREL6JIJV601.html
政府は,どの国の政府でも,法令に定める手続に基づかずに通信傍受をしたがるものだ。支配の維持のためだ。
しかし,ここでいう「政府」なるものは,実は,誰か「個人」または個人の集合体だ。
通常,一般国民が実感をもって問題を意識しないのは,その「個人」とのお付き合いがないし,自分とは基本的に関係のない人々であることが普通だからだ。
しかし,とても小さな国家ではそうではない。
通信傍受をしている「個人」のことを多くの人々が直接に知っている。あるいは,すぐ近くに住んでいる「よく知っている者」として認識・理解することができる。
その結果,「どうしてあんな奴が他人の通信内容を知ることができるのだ!」と怒ることになる。
要するに,ある程度大きな規模の国ではあまり問題とされることがないのは,「規模の問題」によって本質を直視する眼が濁らされているからだということになる。
それでも,その「個人」はどこかに住んでいる誰かなので,もし「誰が」通信傍受をしているのかが判明すれば,その者が居住する地域では密かに後ろ指を差すようなことが一般化することになることはあり得ることだろうと思う。
もちろん,たいていの国民は馬鹿ではないので,自分の身に危険が及ぶことを避けるため露骨に非難したりはしないだろうけれども,心の中では軽蔑が生ずる。
そして,もしその「個人」に子供がいれば,学校で「いじめ」の対象とされることはあり得ることではないかと思う。なぜなら,子供は打算せずにダイレクトな行動をとることがあるからだ。
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