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2012年12月 8日 (土曜日)

米国:ロボット化されたブラックホーク攻撃ヘリ

下記の記事が出ている。

 US Army demos first robot Black Hawk helicopter
 Register: 6 December, 2012
 http://www.theregister.co.uk/2012/12/06/army_autonomous_helicopter_flight/

将来,全ての兵器がロボット化されたと仮定する。

独裁者に反対する兵士が反乱のために武器を奪っても使うことができなくなる。

それと同時に,独裁者一人を殺せば,自分が簡単に次の独裁者になることもできる。

どちらにしても,人類にとって絶滅のベクトルを大きく含む未来像であることに変わりはない。

ちなみに,種としてのヒトが存続するには一定数の個体が存在していることが必要であり,少数しか存在しない場合には絶滅する危険性が極めて高いことは生物学の基本に属する。

理屈では,最初の人類は一人しかいないというのが数学上の真理になる。

しかし,生物学的には,人類の祖先となった「ある種の動物」が多数存在し,一定個体数を含むグループとして自然界の中で淘汰されつつ人類まで進化したと考えるほうが妥当だ。

ここらへんになると,どういう宗教観に基づいて発想するかという根源的な問題にあまりに近づいてしまうため,議論が収束することはないだろう。

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コメント

立山紘毅 先生

議論が成立しそうにない場合って,むしろデフォルトかもしれませんね。

誰も「自分の負けを認めることがあり得る」という当然の前提を承認しないで議論に入ろうとするからです。

ばからしいので,議論しなくなりました。


投稿: 夏井高人 | 2012年12月 9日 (日曜日) 08時17分

 大変良く理解できました(^_^;)。

 人間自大主義とでもいうんでしょうか、憲法研究者が「個人の尊重」というとき、「それがとりあえず人間の間柄を、さしむき丸く収めるための便法にすぎないのだ」ときっちり自覚して議論している人がどれくらいいるのか、私にはよくわかりません。一方で、エコロジストが鳥や獣を原告として、その代理人として訴訟を提起するというのは、実務上とうてい認めるわけにはいかないばかりか、自明の前提として「人間自大主義」が潜んでいるような気がして、むしろ「偽善」を感じます。

 しばしば「人権屋」という罵声が飛んでくるときに、似而非理屈として「じゃあ、おまえはインフルエンザ・ウィルスの『生存権』は尊重しないのか?」と難癖をつけてくる馬鹿者がいます。私はそういうとき、「はい、認めてますよ。エイズ・ウィルスだろうが狂犬病ウィルスだろうが(どちらも「ギネスブック認定最凶ウィルス(^^;」)、生きとし生けるものはすべて尊い、と考えています。存在する以上は何らかの必然があって存在しているのであって、そのどこに優劣があるのですか?」と問い返すことにします。

 たいていは「問題のすり替えだ!」と怒るだけでまともな論争にはなりませんが。……その点で、対話可能性さえ信じられなくなってるから病的なんですけどね。

 もう少し穏やかな話をすれば、日本脳炎ウィルスってヤツは、蚊と豚の間を往復している限りは、win-winの関係なんだそうです。ところが、たまさか蚊が人間の生活圏に侵入して、産卵のために人間の血を間違えて吸引してしまうと、ウィルスには「死」しか待っていません。もしここで、日本脳炎ウィルスに口が合ったら「あの蚊のバカヤロウ、とんでもないところに注射してくれてどうしてくれるんだよ」と恨み言を言うに相違ないでしょう。

 もうちょっと学習経験を経たウィルスとなると、ヘルペスウィルスのように、ふだんは神経節に自分の遺伝子を潜り込ませておとなしくしておいて、生かさず殺さず、人間の身体が弱ったときに、たとえば「熱の華」みたいなヤツを出して種族の維持と発展を図る、という生存戦略をもっていますが、残念ながら日本脳炎ウィルスはまだ「若い」らしいんですな。

 こんなふうに考えると、いろいろおもしろい風景が見えてきます。もちろん、何にも役には立ちそうにありませんが、少なくとも巨人・宮崎駿が考えていることの端にぶら下がることくらいはできて、とりあえず日々楽しく暮らせるのは事実です。

投稿: 立山紘毅 | 2012年12月 8日 (土曜日) 18時19分

立山紘毅 先生

コメントありがとうございます。

無神論者と無神論者の間では議論を収束させることは可能だろうと思います。ただ,議論の前提としている知識の量が同量・同質である必要があり,かつ,思考能力がどちらも非常に高く極めて高速の思考が可能であるということが必須の前提になるだろうと思っています。

特定の宗教(←アニミズムその他の疑似宗教または宗教類似の宗教的確信,信念または信条の場合を含む。)を信ずる者と同じ特定の宗教を信ずる者との間でも議論を収束させることが可能だろうと思います。この場合,豊富な知識等は必要としませんが,当該特定の宗教における教義等について同じ解釈・理解を有していることが必須の前提となります。同じモスリムでも宗派が異なると殺し合いをしてしまうことからもそう言うことができると思っています。

私がいわんとするところは,十分にご理解いただいているとおり,「人間は特別の存在であり,他の動物とは異なる」という信念の基礎にあるのは,やはり何らかの意味での宗教的確信のようなものではないかという仮説に基づくものです。

先日,ある法哲学の先生と雑談していたらこのことが話題になりました。欧州には,そういう観点から研究をした法哲学者が存在するそうです。今度勉強してみようと思っています。

無神論者の場合でも,全く何も根拠がないのに「人間は特別の存在だ」と確信している人をみかけることがあります。疑似無神論者だと思いますが,現に存在しています。たぶん,既存の特定の宗教を信じていないという意味で無神論者なのでしょう。

ところで,私は,自然保護等の関係の法律もやってますが,いろいろと考えてみると,結局,この問題に帰着してしまうんですよ。

どうして,人間だけは特別の存在として扱うことができるのか?

民法でも憲法でもそうです。

私は,規範でものごとを考える人々と即物的に事実のみからものごとを考える人々との間にはかなり深い淵のようなものがあり,会話不可能なのだろうと思って,現実の会話の中ではあきらめることが多いです。本当は翻訳と架橋が必要なのですが,その必要性を肯定しない人が圧倒的多数だからです。これまた根拠のない自信の一種だろうと思っています。どうして自分だけは例外として扱うことができるのでしょうかね?

もし箱根火山が大噴火したら,最悪の場合,東京のほとんど全域がポンペイ化してしまうので,自分だけは例外なんてことは絶対にあり得ないことなんですけどね・・・

愚痴を言っていてもしょうがないので,私は自ら孤立し,机に向かって黙々と本を読み,散歩しながら考え,そして,PCに向かって論文を書き続けています。10年くらいかかりそうです。

さて,ご指摘のとおり,人類が末期的な遺伝子状態にあるということは最近各所で主張されていることの一つですね。たぶん,自然科学上の真理の一つだろうと思います。人類も絶滅危惧種の一種です。しかも,自ら絶滅への道をどんどんひた走っている馬鹿な「種」です。

ただ,これまた最近の研究成果によると,人類の遺伝子中にはネアンデルタール人など現在の人類とはちょっと異なる種の遺伝子が混在していることがあるのだそうで,もしかすると,そうした雑種系の遺伝子構成が濃厚な人々の中には少しだけ長く生き延びることのできる人々が含まれているかもしれません。

・・・とまあ,こんなくだらないことを考えています。

最後にタネあかしをしておくと,この記事は,古くからの政治学上のパラドックスを単純に展開しただけのものです。

それは,「独裁者のパラドックス」と呼ばれているものです。

これを抜け出すために,仮に独裁者が自分以外をすべてロボットで置き換え,自分以外の人間は全部殺してしまったとしましょう。それは,絶海の孤島でオウムだけを相手に寂しい日々を送るロビンソン・クルーソーそのものということになります。ただし,ちょっとだけ異なるのは,永久に絶海の孤島のままであり,誰も助けにくることはないという点です。なにしろ,自分が全部殺してしまったんですから・・・


投稿: 夏井高人 | 2012年12月 8日 (土曜日) 17時28分

夏井高人 先生

立山紘毅です。

 私は信仰皆無の人間(確信犯的無神論)ですから、別に宗教的に思い悩むこともありません。

 たとえばいろんな病気。環境によって生存戦略上有利な者が獲得していた形質が、ある地域では卓越したとしても、環境要因を排除すれば、癌は癌、高血圧は高血圧、さらに統合失調症に至っては人種・民族を問わず発生率は統計学的に無視できる偏差しかない、という事実は、人間が一つの起源から分かれたことを示唆していると考えています。

 たとえば、最も初期に遺伝病として特定され、一遺伝子一酵素仮説を支持する有力な遺伝疾患・鎌状赤血球症もまた、その起源が深刻なマラリア多発地帯である中央アフリカにあったこと、そして鎌状背血球症「患者」はマラリアにかかりにくいことからすれば、生存戦略上有利な側が生き残った、と考えられましょう。

 だから、WHOがアフリカに出かけようが南アジアの途上国に出かけようが、薬は効くし各種の癌治療は有効なのでしょう。

 もっとも、最近では、各種の自然災害で形質が一様化された可能性もあるんだとか。議論はあるにせよ、トバ・カタストロフによる遺伝子のボトルネックを指摘する向きがあるようですし、日本近海でも7300年前頃に鬼界カルデラの超巨大爆発で南九州の縄文文化は壊滅した、とされています(私の師匠たちが「謎の文化消滅」を発掘してたんですね……)。

 それが幸いなのかどうなのか、遺伝子的な一様性は種の絶滅に近づくほど顕著に見られるらしいのですが、もし本当なら、人類絶滅まであと○○年、という計算も成り立つかも知れません。もっとも、惑星における生命や文明の発達可能性を表す方程式では、社会的経済的破滅や文明の退廃堕落というファクターも無視できないどころか、かなり大きいそうです。

 してみると、人間が人間としての痛みを感じることもなく殺戮と破壊をもたらしうる無人平気、じゃなかった無人兵器もまた、一種の破滅や堕落ではないのでしょうか?

 そもそも大量破壊兵器というのは、労せず大量の破壊と殺戮を可能にするものであり、しかもそこでは残虐な光景を見る必要もありません。ボタンの彼方で何が起こっているか、あまりにも明らかなのにそれを五感で明瞭に認識しなくても、歴史上の暴君奸臣たち以上の破壊と殺戮をほしいままになしうる――私は既にここに滅亡の匂いを感じ取っているのですが、それがオートマトン化されるとき、あるいはオートマトンの側が人間こそ滅亡の元凶として自律的に制裁を加えることもあり得ると思います――「風の谷のナウシカ」に登場する巨神兵は、その卓越したメタファーでありましょう。

投稿: 立山紘毅 | 2012年12月 8日 (土曜日) 13時07分

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