岡本哲先生から下記の書籍の寄贈を受けた。
月刊たんぶるぽすと増刊第60号『訴訟記録の郵便史』
池田健三郎・岡本 哲編
特定非営利活動法人日本郵便文化振興機構監修
株式会社鳴美発行
2012年8月15日発行
ISBN978-4-86355-033-9
株式会社鳴美(新宿区百人町2-12-8 tel.03-3361-3142)
http://www.narumi-stamp.jp/index.html
これは極めて貴重な重要資料の一つだと判断する。類書を作成・出版することは極めて困難と思われる。
絶賛に値する。
弁護士なら必備の一冊と言える。
大変勉強になる。
この書籍の存在については全く知らなかったが,寄贈を受けて知るに至った。まことにありがたいことだ。心から感謝申し上げる。
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(余談)
最近,観念だけの法解釈論には飽きてきていた。特に,全く有用性がなく,かつ,哲学的にも間違いではないか(または賛同すべき素地が全くないのではないか)と思われるような法理論には辟易していた。
そこで,法情報論の中でも例えば立法事実論のようなかたちで解釈事実または判断事実のようなカテゴリを考えることが可能なのではないかと思考錯誤しているところだった。
従来の法学のカテゴリの中では法社会学などが比較的近いかもしれない。
しかし,法社会学の中でも観念論で古い思考を演繹するだけのタイプのものは,社会学史としては良いのかもしれないが,社会学そのものではないと思っていた。
それゆえ,事実に即した実証的な研究態度を重視する姿勢をとる方向へと急激に傾斜していた。
この書籍は,そういう観点からしても資料として極めて重要だと思った。
書籍に書かれた文字情報の重要性を否定する気はない。
しかし,文字(符号)によって示された概念や対象の実際の姿を全く知ることなしに文字(符号)をいかにいじくってみたところで少しも学問にならない。
多少の危険は覚悟の上で,事実を直接に知る努力を重ねなければならない。
私は,コンピュータ法やサイバー法に関しては,実際にプログラムを書き,コンピュータで実用に供し,コンピュータ装置それ自体も自作し,ネットワークシステムの管理者としての業務にも現実に従事し,ネット上の表現行為に関しては自らブログをどんどん書き,とにかく事実に即してものごとを考えるようにしてきた。
遺伝子関連の問題に関しては,本当はヒトのゲノムについて直接に研究したい。しかし,様々な事情からそれは断念した。その代わり,非常に多くの栽培困難な植物や菌類などを栽培することは実際にやってきたし,また,植物の遺伝子解析に関しては現実に即して考えることのできる環境に可能な限り接するようにしてきた。
観念だけでも観念論としての理論を構築することはできる。
しかし,全く根拠のない空想だけに依拠する砂上楼閣のような理論を構築してみても,単なる自己満足に過ぎないのではないだろうか?
私は,そのような自己満足は避けたい。
郵便は,訴訟法上では「送達」と直接の関連を有する。しかし,上記の書籍に収録されている資料(写真)を丹念に読み解くことにより,それ以上の様々な知見を得ることができる。
過去の判決を読む場合でも,その判決がなされた時代の背景や歴史的状況という要素を抜きにして語ることは許されない。そして,判決がなされるに至るプロセスの中で,現実にどのようなことが可能であったのかを知ることなしに,その判決の価値を評価することもできない。
実は,このような観点から,ある非常に有名な判決を素材にして調査・研究をしてみた。その結果を論文にまとめ既に投稿しているのだが,運が良ければ年末には発行されていることだろう。
このような私の問題意識に完全にマッチする書籍の寄贈を本当にグッドタイミングで受けることになり,正直言ってびっくりしている。
おそらく,カント派の観念論という意味ではなく,事実に即して考察するという意味での「実証主義」こそ,今後の理論法学における思考態度の主流となるべきものだろうと確信している。
そうでなければ,伝統的な意味・方法論での理論法学は既に袋小路のどん詰まりに来てしまっており,もう未来が全然展望できない状態になってしまっているというしかない。
偉い先生方にはまことに失礼なことを書いていることは承知している。
しかし,きっとどの偉い先生方も本音のところで気づいており,ただ今後の方法論が分からずに苦慮しているのだろうと想像している。
私は,上記の意味での「実証主義」しかないと思っている。
それを「科学」と呼ぶべきかどうかは個人の単なる趣味の問題に属すると理解しているので,そういうことと関連する古い議論にかかわる気は全くない。
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