Privacy, Identity, and Cloud Computing
Amazonに注文していた下記の書籍(ペーパーバック版)が届いたので,早速読んでみた。
Privacy, Identity, and Cloud Computing
Harry Katzan Jr.
iUniverse.com (July 26, 2010)
ISBN-13: 978-1450246316 [Hardcover]
ISBN-13: 978-1450246293 [Paperback]
決済価格は約1,700円だったのだが,書かれている内容が非常に優れているので,とても安い値段だと思う。
読んでみると,なかなか深い。
冒頭に出てくる「全て白昼夢の再現シンドローム」のような感覚というものは,実は,「個人を定義することはできるか?」というこのブログでは毎度おなじみのテーマと深く関係するものだ。
この書籍における著者の考え方は非常に参考になる。
ただし,幾つかの問題について,「では,どうしたらいいのか?」という部分に食い足りない部分が残る。これはいたしかたのないことかもしれない。私のように「所与の前提」を否定しても全然構わないという心境にまで達しない限り,解決できない問題というものが存在するからだ。
とはいえ,全体としては,考える素材が満載のとても良い本だと思う。深く考えたい人にはお勧めの一冊だ。
ところで,私見については,おそらく年内に刊行される予定の某書籍の中に収録される論考によって,部分的に開示することになるだろう。しかし,その原稿は,実は2年も前に書いたものだ(つまり,基本理論を述べた部分以外の実務的な要素で構成される部分は,そのほとんどがアウトオブデートになってしまっている。)。原稿受領の連絡を受けた後,基本的になしのつぶてというような状態だったので,「出版企画がボツになったのだろう」と思い込んでいた。ところが,先日,突然ゲラがやってきた。したがって,内容的には既に相当古い。私見は,もっと先まで進んでいる。やむを得ないので,過去2年間に法改正等があった部分などを補正するなど最小限度の修正を加えて校正を終えたいと思う。出版社と編集者に嫌われない限り,その某書籍の中に収録され出版されることだろう。
この某書籍とは別に,もし余力があれば,別の論文を1本書いて,この問題に関する「決定打」というべき理論を提示したいと考えている。述べるべき結論とその理論構成は既に腹の中で決めている。
ただし,もしその新論文が刊行されることになったとしても,おそらく関連学会の中では完全に無視されることになるだろうと想定している。ちゃんと理解できる人が多数存在するとはとても思えない。
しかし,私見は,現時点で存在するどの理論よりも圧倒的に正しいので,いずれ通説になるだろう。
時の経過が問題を解決してくれるのだ。
[追記:2012年8月7日]
この記事に関する感想を幾つか頂戴しました。感謝します。
さて,この本で述べられていることもそうなのだが,仮想環境では「個人」とは一体何を指すことになるのか,というテーマは非常に重要なテーマだと思う。
私は,法律論としては,プロッサーの4類型を再評価すべきだという見解をもっており,私が監修した『ITビジネス法入門』(Tac出版)のプライバシー保護に関する章(佐々木秀智先生担当)の部分でも,佐々木先生と共同でこのような考え方を反映するように監修作業を行った。
このブログの中でも,データハーべスティングや自動プロファイリングとの関係で,プロッサーの第3類型のプライバシー侵害という概念が非常に大きな意味をもつことを指摘してきた。
このように「何が侵害されたことになるのか?」という観点から帰納法的に考察することが大事だと考える。伝統的な法理論からの演繹だけでは,決して「閉じた世界」の外に出ることができない。演繹法は,ある「閉じた世界」を想定し,その中でのみ合理的に機能するものであり,逆から言えば,その「閉じた世界」を構築するための基本原理のようなものなので,そのこと自体から来る限界のようなものが必ずある。そして,今,眼の前にある現象の多くは,そのような意味での「閉じた世界」の外に存在している。
『Privacy, Identity, and Cloud Computing』は,即座に利用可能な「答え」を提供する書籍ではないが,何を考えるべきかという点に関する示唆を多数含んでいる。私は,そのようなタイプの本を「良い本」だと考えている。
さて,具体的な検討課題を一つだけ提供すると,「SNSなどで用いられるアバターは,単なる「マリオネット」に過ぎないのだろうか?」,「アバターは,「自分の実存の一部」ではないのだろうか?」,「アバターを最も簡略な表現方法に圧縮すると,単なるアカウントやIDやハンドルネームになるのではないか?」,「それらは,符号列以外のアイコン(画像),感触,臭い,音響のようなものに置き換えても同じではないか?」,すると,「アバターの機能を有する符号列等の要素に対する法的評価が重要になるのではないか?」,このようなことを考えてみるべきた。
なお,自己認識と他者からの評価とは全く異なるものであるので,法解釈論として考察する場合には,その相違を明確に認識していないと,とんでもないインチキ論文ができあがることになる。
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