近未来では現実世界と仮想世界との区別がつかなくなるとの研究結果
下記の記事が出ている。
Facing the future: Computer games will be indistinguishable from reality within a decade, say experts
Mail Online: 13 August, 2012
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2187746/Entering-matrix-Computer-games-indistinguishable-reality-decade-says-experts.html
現在のまま安定して装置やソフトウェアや電力が供給されるということを前提とした研究成果なので,(当然のことながら)そうでないという前提であれば実現しない未来ということになる。
よく考えてみると,現時点でも現実世界を直接に認識する手段はない。全て感覚器で受けた様々な外部からの刺激を電気信号に変換し,神経経路等を通じてその信号を脳に伝え,それらを脳内で処理し,現実世界があるものと想定しているだけなので,いわば,各人各様の仮想世界だけがばらばらに存在していると考えるのが最も正しい。
そうすると,何をもって「現実世界」と定義すべきかというあたりから始めないと議論が収束しないことになるのだが,まあ,各人各様に議論し続けることになるのだろう。
実は,真の問題点はそこにあるのではない。
様々なデバイスを脳内にインプラントし,仮想であれ何であれ同一に認識するように脳内の信号処理を強制的に修飾してしまうことは可能だ。例えば,実際には存在しない物体を存在しているものと感じさせることは比較的容易なことだ。そこから更に技術を進歩させると,ある思想や宗教等に対して必ず嫌悪感を抱くように仕向けることも可能だろうと思うし,インプラントされたデバイスに信号を送ってくるコンピュータシステムのエンジニアのことを「神」と思わせることもできるだろうと思う。
そういうことが一番問題なのだ。
「まさか」と思う人が圧倒的に多いだろう。
しかし,人間の思考作用の中で「自由意志」に属する部分は極めて乏しく,その大半は「反応」の一種に過ぎないという事実を正しく知ることができれば,上記ののような未来像は現実に成立可能な未来だということを冷静に認識することができる。
では,どうしたら良いのか?
世界は,ソローの『ウォールデン-森の生活』のような生き方を極めて困難にする方向に向かっている。世界の人口が爆発的に増加しているので,何か強力な手段でもって世界の総人口を1万分の1以下程度に抑えないと,どうにもならない。だが,それはできない。
結局,ゼロサムではなくマイナスサムに移行するという前提で考えると,総貧困化の進行という未来しかあり得ないことになる。とりわけ都市部では世界総スラム化が進行中なのかもしれない。そのイメージとしては,ハリウッド映画『ソイレントグリーン』がもってこいだろうと思う。
もちろんスラム化した都市社会であってもエリート支配層が成立し得る。しかし,彼らは機能として支配層であるだけであり,それ以上のものであってはならない。妙に「自覚」をもつとBBCの古いTVドラマ『プリズナー』のような事態に陥ることになる。『プリズナー』にはリメイク版があるが,やはりオリジナル版が最高傑作だと思う。
というわけで,あれこれ考えるのだが,どうにもならないという諦念のほうが強い。
結局,電気などないシベリアやカナダの氷原で自給自足生活をしている少数民族のような人たちしか「文化的な存在」としては生存できないというのが正しい解かもしれない。
[追記:2013年8月27日]
関連記事を追加する。
HP, VMware Solution Lets Users Unify Virtual, Physical Networks
eWeek: August 26, 2013
http://www.eweek.com/networking/hp-vmware-solution-lets-users-unify-virtual-physical-networks.html
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