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2012年8月10日 (金曜日)

抽象思考や創作性などの高度な思考機能を機能させる幹細胞

下記の記事が出ている。

 Scientists find the stem cells that drive our creativity
 Daily Mail: 9 August, 2012
 http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2186142/Scientists-stem-cells-drive-creativity.html

人間の様々な思考機能は,オリンピック選手の様々な運動機能と同様,先天的な遺伝形質の一つなので,教育や訓練によって発生させることはできない。教育機関は,そのような形質をもっている者を発見・選別し,訓練によって機能強化をするということしかできない。これらのことは常識に属する。

今後は,運動・体育分野だけではなく,文系・理系を問わず,様々な分野において,「そもそも教育は成立可能か?」という根本問題に遡った検討が要求されることになるだろう。

なお,誤解のないように附言しておくと,人間の能力は,「あるかないか(=0/1)」で考えるべき場合もあるけれども,大概の場合には程度の評価というタイプの考察対象に属すると言える。また,当該個々の能力が高いとか低いとかいうことが,当該の者に対する全ての評価を決定するわけでもない(ただし,愚民は,英雄や有名人を好むので,ただそれだけの理由で当該の者を崇拝してしまうことがある。愚民は思考する能力が低いので,特定の分かりやすい評価結果を示されると,それによって全ての思考を代替させ,丁寧な思考や考察等に伴う精神的ストレスから逃避しようとする傾向が強い。なお,この括弧内に書かれた面倒臭く読みにくい文章を読んでいる読者は,もちろん愚民ではない。)。

例えば,100メートルを10秒で走ることのできる者は極めて少ないが,人間の日常生活のレベルで「非常に速い」と評価できる者は多数存在する。この場合,「速く走ることができる」ということだけでは当然オリンピック選手に選出されることなどあり得ないが,選手として選出される者とそうでない者との能力差が極めて僅少であることが決して珍しくない。

要するに,ある目的に照らしてみて要求水準を満たすかどうかという意味で高度な能力の有無を述べている。

簡単に言えば,社会的な「閾値」のようなものの存在を想定している。そして,この社会的な閾値のようなものを想定しない限り,生徒や学生の成績評価などすることができない。

ここでは,その社会的な閾値のようなものの設定の仕方について述べているのだ。

従来「所与の前提」とされてきたことの多くが虚無であることになってきているので,根本からの見直しが迫られているということに気づかなければならない。

もっとも,知らん振りをして,今のままずっと「嘘をつき続ける」という方策も選択肢としてはあり得る。

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