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2012年1月29日 (日曜日)

サイバーバンダリズムとサイバー戦とは区別すべきだとの見解

下記の記事が出ている。

 Cyber vandalism – not warfare
 Ynet: January 26, 2012
 http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4181069,00.html

私見では,「戦争」の概念のほうを根本から見直したほうがよいと考えている。「主権国家」という概念を全く排除した環境を想定した上で,最小限の構成要素を用いて「戦争」の概念を再構築する必要がある。

もともと「主権国家」とは観念的なものであり,実存ではないし,現実に実現されることもないので,理念を機軸として「戦争」を定義することそれ自体が間違っていると言える。

このことは,国際法で用いられている諸概念の大半についても言えることだ。

一般に,「理論」とは,誰かの思想の表現物に過ぎない。その「誰かの思想」に共鳴するのは各人の自由だが,だからといって特定の「誰かの思想」に束縛されなければならない義務など最初からない。

このような単純明快なことを理解することなしには学問の進歩など絶対にあり得ない。

ちなみに,サイバーバンダリズムとサイバー戦とを区別すべきだという見解に立脚する場合であっても,現在のインターネット上で現実に発生している事象をどのようにとらえ(事実認定),どのように理解し(評価),どのように対応すべきかは全く別問題だ。「概念」は「事実」そのものではない。「概念」というものによって表現される集合に含まれる集合要素として特定の事実の集合を評価可能かどうかを吟味しなければならないと同時に,当該概念それ自体の健全性も常に検証され続けなければならない。

このように書くと「かたくるしい奴だ」と思う人が決して少なくないらしい。しかし,私は,思考回路がすぐに飽和してしまうようなタイプの人は最初から相手にしていないので,全然気にしない。問題は,理論的合理性という観点では私の意見を否定する気が全くないのに,自分の商売や地位等にとって不都合なので「気に入らない」と感ずるような人々だ。そのように感ずるのは各人の自由だ。しかし,同様に,そのような人々にとって不都合なことを私が考えたり書いたりすることもまた,私の自由に属する。そのような場合には,お互い無視し合えばよろしい。

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