ルイス・フロイスが記録した若狭湾大津波はどこで発生したのか?
私は,「若狭湾周辺は地震の巣」だと書いてきた。もちろん根拠があってそのように書いてきた。見た目にも,そうでなければ説明できないような地形が連続している。
大津波についても根拠がある。
宣教師ルイス・フロイスは,『日本史』の中で「若狭の国で町全体が山と思われるほど大きな波浪に覆われてしまった。その引き際に家屋も男女もさらっていってしまい,全員が海中で溺死した」という趣旨のことを書いている。
これまでの地震学者の多くは,原発立地を意図的に構築するためのインチキ学説である活断層説に基づき,内陸ばかり調べてきた。そして,活断層のない場所は地震のリスクが低いとして原発立地として適しているとの結論を導いてきた。
このような理解は,もっとひどいある理論上の態度を前提にして構築されている。それは,プレート理論だけですべてを説明しようとする態度だ。
私は,プレート理論だけでは日本の地震の説明がつかないことが多いということについても何度も述べてきた。
あくまでも仮説レベルだが,私は,フロイスの記録した大津波は,若狭湾の沖を震源とする大地震によって発生したものだと考える。
現在のプレート理論では説明できないかもしれないが,地殻の大崩壊はプレート境界付近でなくても発生し得る。
若狭湾の沖の海底地殻をくまなく調べれば,私見の正しさが証明されることだろう。
もんじゅが崩壊し,近畿地方が燃え尽きてしまう前に,是非ともそのような調査を実施して欲しい。
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(余談)
「人麻呂伝説」なるものがある。
人麻呂の墓は,島根県益田市沖合にあったとされる鴨島にあったという伝説だ。
この鴨島という島は,万寿地震の際に大津波で破壊され,海中に没したとされている。
私は人麻呂伝説なるものそれ自体の正しさについて調べるだけの能力は持ち合わせていない。
しかし,仮に鴨島という島が存在していたこと,それが大津波で破壊され海水中に没したことが真実であったとすれば,かなり大きな地震と大津波が日本海でも発生することがあるということを理解することができる。
しかも,その震源地は,日本海の海底だったと推定するしかない。
通常,津波は,海底の地盤が大規模に隆起することによって発生すると理解されている。プレート境界付近ではそうかもしれない。しかし,逆に海底が大規模に陥没した場合,それによって低下した海域に大量の海水が流れ込んだ後,それらが衝突・反発し大規模な津波を発生させるということだってあり得るのではないかという仮説をもっている。そして,そのような大規模陥没による大津波は,日本海でも発生し得ると考える。
浦島太郎の伝説もまた,意外とそうした古代の大地震や大津波の記憶がもとになってつくられたものなのかもしれない。
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[追記:2012年7月17日]
関連記事を追加する。
消えた島の伝説 秋田県沖は大地震の空白域 謎多い「日本海東縁部」
産経ニュース: 2012.7.13
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120713/dst12071309320004-n1.htm
[追記:2012年8月18日]
原子力安全・保安院の検討結果が公表されているのを見つけた。フロイスが記録した津波は歴史上の事実としては存在しなかったという結論になっている。
若狭湾沿岸における天正地震による津波堆積物調査について
平成23年12月27日
原子力安全・保安院
http://www.nisa.meti.go.jp/shingikai/800/26/008/8-2.pdf
[追記:2012年12月12日]
関連文献を追加する。
外岡慎一郎「『天正地震』と越前・若狭」
敦賀論叢(敦賀短期大学紀要)26号(2012年3月1日)
http://crf.flib.u-fukui.ac.jp/dspace/bitstream/10461/8970/1/%E5%A4%96%E5%B2%A1%E3%80%8C%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%80%8D%E3%81%A8%E8%B6%8A%E5%89%8D%E3%83%BB%E8%8B%A5%E7%8B%AD.pdf
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