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2011年9月18日 (日曜日)

何も信じられなくなったら,どうしたらよいのか?

最近のCAハッキングなどを受け,そのような質問を受けることが多くなった。

回答は,既に1997年に刊行した著書の中に書いてある。

当時は,随分と物議をかもしたものだ。

皆さんお忘れになっているようだ。

そこで述べたことの多くは,現時点では既に常識になってしまっている。しかし,基本理論を学ぶという態度で読んでいない人にとっては,それが回答であることを理解できないのだろうと思う。

さて,現時点での私見は,1997年に公表した「処理主義」の理論に基づき,法の基本理論を根本的に見直すという領域に踏み込んでいると自覚している。

また物議をかもすことだろう。

でも,更に10年たてば間違いなく常識になっている。

なぜなら,論理上,これしか解を得ることができないからだ。

そんなことは古典ギリシア哲学の時代に既にわかっていたことだ。

問題は,現代社会という文脈の中でいかに実装するかということに尽きる。

だから,平気でこのまま突っ走ろうと思う。

人間はいつまでも生きていることはできない。

私は凡庸なヒトの一人に過ぎないが,凡庸なヒトなりに,生きている間は精一杯のことをしたいと思う。

そのあとは,天下の秀才達がどうにかうまくやってくれるだろう。

それで良いのだ。

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(余談)

法科大学院の講義では,この記事と関連した質問をときどき受けることがある。

迷う。

もしその学生が研究者になりたいと思っており,かつ,それに相応しい資質・能力を有しているのであれば,我妻栄と川島武宜を読み比べ,両方とも完全に理解した上で,それぞれがベースにしているドイツの古い学説,更には実体説と関係説について考えさせ,そして,フッサール流の現象学とその限界を認識させ,とてつもない落胆と諦念の中から自己の考えを構築させるように指導することだろうと思う。

しかし,学生はみな実務家をめざしている。

哲学的な研究のために時間をとられていたのでは司法試験に合格するはずがない。まして,現在の通説や判例に対して懐疑的な気持ちを強くもつようになってしまったのでは,かなり厳しい状況に陥ることが確実だと思われる。

だから悩む。

しかしながら,よく考えてみれば,「私が悩まなければならない理由など何もない」というのが正しい結論であるようにも思う。

それは,私の単なる自信過剰または傲慢に過ぎないかもしれないからだ。

実際問題として,各人それぞれに自分で考え,自分で生きる道をみつけるしかないわけであるし。

私もまた,自分流に自分の道を歩むしかない。

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