原発なしの国家運営が可能なことが証明されたようだ
使用電力量を示すメーターがプロバイダのトップページ等に表示されるようになったことから,本当はどれくらいの電力供給と需要があるのかを国民が知ることができるようになった。
そして,この事実によって証明されたことは,「真夏のピーク時を除いては,原発なしでどうにかやれそうだ」ということだ。
これまで,政府も電力会社も虚偽の事実で虚偽の見込みしか説明してこなかったので,マスコミも文化人も裁判所もすっかり騙されてしまったけれど,今後は騙されることはないだろう。
ただし,油断して電気を無駄遣いすれば,当然,不足に陥る。お金と同じように蕩尽すればなくなってしまう。
他方で,実際に供給される電力を知ることができれば,企業は,それなりの対応策を講ずることができる。どの企業も一律に同じ時間帯に働き,土日は必ず休むという必要性など全くない。現に,時間帯や曜日と無関係に仕事をしている産業はいくらでもある(電力会社,通信会社,鉄道会社,航空会社などがその典型例だ。)。他の産業分野でも工夫をすれば,日本全体として合理的な電力配分が可能となる。どこもかしこも一律に同じ時間帯に仕事をしようとするから不足が発生しやすくなってしまうのだ。
これらのことを合理的に判断するためには,メーターが非常に有効な手段となっていることも証明された。国民は,これまでは,どれだけの電力が供給されているのかを知らなかった。だから,蕩尽し続けたのだ。
虚偽の防止と浪費の防止のため,今後もメーターを表示し続けるべきだ。むしろ,法律によって義務付けるくらいのほうがよろしい。
以上の前提での議論だが,やはり,火力発電所等の故障が現実にあったし,落雷や水害等で電力供給量が減少することはあり得る。したがって,電力供給能力には余力をもたせる必要がある。
また,巨大な電力会社だけが独占的に電力を供給する結果,様々な問題が発生してしまうので,地熱や水力や太陽光等を含め,ローカルな小規模発電所がいっぱいあったほうが妥当だと思われる。集中を避け,分散を促進したほうが国防という観点からも妥当と思われる。
以上のように十分に補充的な手段を講じれば,原発を全部廃止しても日本は十分にやっていける。
原発がなければ日本は滅びると今でも書きたてている新聞社や評論家などが少なからず存在するが,事実に基づかない虚言そのものだ。何か精神的に疾患があるのではないかと疑われるので,専門医の診断を受けさせるべきではないかと思われる。
なお,原発を廃止すれば補助金等の交付を受けられなくなり,財政破綻する自治体は多数存在する。しかし,特定の種類の産業が衰退すれば自治体自体が消滅してしまうことは,かつての鉱山産業等でも全く同じなので,原発関係だけを特に優遇すべき合理的な理由は全くないし,その必要性もない。逆に,原発の廃棄処理には何十兆円もの費用がかかるので,これまで原発関係の補助金で食ってきた人々や原発利権で儲けてきた人々(電力会社株主を含む。)から優先的にその費用を強制徴収すべきではないかと考える。それでも足りなければ,当該電力会社を清算して,その精算金から費用を捻出し,不足分を税金で賄うしかないだろう。最初に税負担を先行させれば,原発から何の金銭的利益も受けていない人々の犠牲で,原発から金銭的利益を受けていた人々を優遇することになり,不公平の極みとなる。利益のコストは負担してもらわなければならない。
このように考えると,原発ビジネスは,トータルでは巨額の赤字となるものであり,絶対にペイしないものだということが誰にでも理解できるだろうと思う。
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(余談)
これまでの原発訴訟では,「原発なしには国民生活ができなくなる」と裁判官が判断したことが,勝敗に大きな影響を与えているだろうと推測している。「結論ありき」の世界では,どんな法理論も立証も全て無駄だ。
原発訴訟の原告らがもし勝訴したければ,今年現実に起きたことを事実として証明するための証拠を丹念に蓄積し続けるべきだろう。多数の原発が停止している状態で,実際に供給不足が発生したのかどうか,そのことが事実として示され続けている。それを記録化し,証拠とする努力が重要だ。
これまでは,あまりにひどいイデオロギー闘争や神学論争のようなものが多すぎたことも原発訴訟敗訴の大きな原因になっていたと推定している。最高裁は,共産主義や社会主義という意味での左翼的言動や考え方に対して徹底的に忌避的・嫌悪的な組織なので,原発訴訟が政治的なイデオロギーに基づく「法廷闘争」としての色彩を帯びるとなると,理屈抜きで必ず敗訴へと向かってしまうのだ。勝ちたければ,政治色を完璧に消去しなければならない。
だから,「事実」に基づく合理的な証明の積み重ねを重視し,クールで中立的な訴訟戦略が求められる。そこでは,政治的なイデオロギーは一切いらない。
日本の戦後(特に東西冷戦)は,今でも終わっていない。しかし,終わらせなければ,日本は不幸になる。このような日本にしてしまった団塊の世代は,全員隠居してほしい。
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(余談2)
震災直後,計画停電が実施された。
当時,火力発電所等も大きな被害を受けており,送電線や変電所等にも甚大な被害を被ったところが多数あったので,現実に電力供給量が不足していた。
その際に採用されたのが計画停電だった。
震災から約半年を経て冷静に考えてみると,計画停電はある政治的な意味をもっていたのではないかと考えられる。
それは,日本において,共産主義の考えに基づく計画経済を実施するということだ。
それが可能になったのは,大日本帝国当時の戦時統制経済のやり方を官僚が覚えていたからないほかならない。
つまり,計画停電は,共産主義と軍国主義がミックスしたものだと評価できる。
そして,その評価は「失敗」だったと言える。
失敗の原因は多々あるが,最も大きな要因は,政府でさえ電力会社に騙され続けており,電力の真の需要量と供給量を知らなかったからにほかならない。これは,ナチス軍や旧日本軍が偵察能力や諜報能力等において連合国軍に劣っていたため,情報において優位な立場にたつことができず,予定どおりに作戦を遂行できなかったという歴史的教訓をすっかり忘れてしまっているということを如実に示していると思われる。
一般に,世界中で計画経済を成功させた国はない(例外は,現に戦争中であり,計画どおりに行動しなければ国家が滅びると国民の大半が信じざるを得ないという極端な状況にある場合だけだ。)。
まして,情報を正確につかんでいなければ,計画それ自体が荒唐無稽になるので,仮に100パーセント完全に実施されたとしても期待した成果をあげることなど最初からできるはずがない。
だから,計画経済ではなく,別の方法を模索しなければならない。
私は,国民の自主的な工夫と努力を期待するやり方のほうが,ごく一部の「秀才」と自己評価する人々が机の上で考え出した「計画経済」よりもうまくいくと考えている。
そのためには,ファクト情報を正確に国民に伝え,国民が制約条件を正しく認識することができるようにすることが大事だ。
日本の国民はとても優秀なので,条件が明示されれば,その条件の範囲内でどうにか頑張ろうと工夫と努力を積み重ねることができる。
都知事や大手マスコミや何人かの著名評論家等はそのようには考えていないようだが,それは,「自分は平民よりもずっと優秀だ。平民はまぬけで馬鹿で無能だ」と思っているからにほかならない。同じような発想のし方は,ヒトラー,ソヴィエトロシア当時の共産党幹部,中国の共産党幹部,北朝鮮の指導者等に共通してみられる。しかし,これらの人々は,そんな考えをもっている限り,小さな町工場の経営だってできるはずがない。
誰でも自分ができることしかできないのだが,自分(例:偉くない人)のできることは,他人(例:偉い人)ができなくても,自分(例:偉くない人)だけにはできるのだ。
そして,世間に存在する仕事の種類は極めて多く,全ての仕事をできる人なんて最初から世界中のどこにも存在するはずがない。
だから,自発的な努力と工夫を集積したほうが全体としては大きな力になる。
大事なことは,自発的な努力と工夫を重ねる前提としての判断を誤らないようにするため,重要かつ基本的な情報を適切に提供するということに尽きる。
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