人工知能学会誌 vol.26 no.3 特集「現場が主導するサービスサイエンス」
人工知能学会誌 vol.26 no.3 が届いたので,早速読んでみた。
「現場が主導するサービスサイエンス」という特集が組まれていたので,特に注意して読んでみた。
採点結果は,0点だ。
特に冒頭にある根本・矢田「現場が主導するサービスサイエンス」がよくない。「文理融合」と自画自賛しているのだが,本当に文理融合と言えるためには適法性審査を経ているのでなければならない。適法性審査は「文系」である実務法律家やその分野を専攻する法学者によってなされていなければならない。そのような適法性審査を経てコンプライアンスの要請を満たしていることが確保されてはじめて「文理融合」と言える。
ところが,収録されている論文の中には,要するに,「金もうけ」のために顧客データをどんどんマイニングすることが無条件で許されるという前提で書かれているものがある。
個人情報保護法その他の関連法令や政府ガイドライン等に違反する記述も随所に見られる。プライバシー侵害等の違法な法益侵害行為に対する配慮も完全に欠けている。
つまり,理系の論文なのだけれど,違法行為を教唆または幇助していることになる。
これからの時代は,科学技術だけ独立していると考えてよい時代ではない。
適法でなければならないのだ。
もちろん,研究室の中ではどんなことを研究するのも自由だ。しかし,それを社会という文脈の中に置くことは別問題だ。
例えば,犯罪捜査のために特別の試射設備のある場所で警察官が証拠品である銃砲を実際に発砲し,科学的に検査することは許される。しかし,同じことを渋谷の交差点で無条件で実行すれば,「通行人の誰かに当たるかもしれない」という概括的・未必的故意は当然に認定可能なので,単純に殺人罪または殺人未遂罪が適用されることになるだろう。これと同じだと考えればよい。
理系の研究者ではない私にしてもこのことは全く同じだ。
私は,頭の中では常に様々なことを考えている。
しかし,自分が考えた内容を無条件で社会という文脈に置いてよいかどうかは別問題なので,適法とはいえないものについては論文にすることもないし,ブログに書くこともないし,その他何らかのかたちで意見表明することもない。
自然科学に属するものであるならば,何でも公表することが許されるという幼稚な考えは捨ててもらわなければ駄目だ。
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