危機をイメージできない者には危機管理の設計などできない
もうだいぶ以前のことになるが,ある大きな建物を建築する際,意見を求められたことがあった。設計図面を1分ほど見てすぐに気づいた点がいくつもあったので,すべて指摘した。その中には情報セキュリティに関するものが多く含まれていたけれども,基本的には防災に関する事柄が中心だった。
例えば,災害時の緊急物資の貯蔵庫が地下に設置されていた。私は,近くを流れる**川が氾濫したり地下水位の変動や地下水圧の変動で地下部分が水没する危険があるため,もっと上層階にしなければ駄目だとの趣旨の意見を述べた。全く相手にされなかった。イメージできなかったのだろう。
そのほかの意見についても全部同じで,「考えすぎだよ」で終わってしまった。だから,その建物は,地域の防災拠点とされておりながら,実際には何の役にもたたない単なる箱になってしまう可能性がある。最初から意見を聞く気がないなら,儀式などやめてしまったほうが良い。時間の無駄だ。
今回の震災では,そういうことが露骨に起きてしまっている実例が多数存在する。
例えば,仙台空港では,重要な電源設備や管制用機器類が1階部分に設置されていたため,すべて駄目になってしまっている。海の近くにあることを考えれば,津波や洪水があっても大丈夫なように,2階以上の部分に設置すべきだったろうと思う。これも海の恐ろしさをイメージできない人が設計した結果だと思っている。
首都圏では,比較的低地に住宅が密集しているし,避難場所や緊急物資の貯蔵施設も海抜からするとそんなに高くない場所に設置されていることが珍しくない。
そういうところでは,津波や液状化現象により被災する可能性だけではなく,堤防の破損による河川の氾濫(水害)による被害を受ける可能性がある。そのことをイメージできなければ駄目だ。
そして,そのような低地では,地下室に貯蔵されているものはほとんど駄目になると覚悟したほうがよいが,1階でも基本的には危ないと認識すべきだろうと思う。
首都圏において今回のような大津波が押し寄せる可能性は低いと考えられるけれども,河川の氾濫の可能性は常にある。そして,それに伴う地下水圧の変化等にも注意しなければならない。
そういうことをイメージできない人は,やはり危機管理の責任者としては適性を欠いていると判断してよいと思われる。
この関連で,ロシアのチェルノブイリ原発の教訓を活かしていないとの批判があることを知った。
「教訓生かされず」チェルノブイリ被害者団体が東電を批判
産経ニュース: 2011.3.18
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110318/erp11031811030005-n1.htm
この批判は正しいと思う。
危険な状態になったときに緊急時に対応できる危機,設備,場所などのほとんど全てが危険な場所の下に設置してあるなどということは,クレージーというしかない。また,緊急電源装置等の設備が原子炉よりも海側に設置されており,津波で破壊されてしまった。これまた狂気の沙汰としか考えられない。更に,外部電源を導入するためのケーブルにフェイルセーフがなかった。だから,現実に事故が起きてからとんでもなく苦労している。これらのことは,設計上の重大な欠陥の一つといえるだろう。
おそらく,設計者は,危機をイメージすることができなかったのだ。そのような者は,設計者としての適性を欠いている。
法的に言えば,東電は,福島原発に関し,その運用開始から今日までずっと,重大な安全配慮義務違反の状態にあったと断定せざるを得ない。
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福島原発の原子炉には最初から構造上の問題があったようだ
http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-d125.html
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