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2011年3月16日 (水曜日)

自己過信を捨てよう

今回の原発トラブルから得られる教訓は非常に多い。

例えば,現実に事故が発生して放射線量が増えると,中央監視室で制御したり計測したりすることができないとのことだ。

なぜ核シェルターのような構造にしなかったのかについては,容易に推測がつく。それは,「安全に設計されている」と信じていたからだ。

これまで何度も書いたことだが,真の危機管理とは,その信頼が全て崩壊したところから始まる。そして,マネジメント主体まで崩壊しないように食い止めるためには,常務としてのマネジメントが崩壊しても影響を受けないようにマネジメント主体を守るための構造が最初からビルトインされていなければならない。原発に即して言うと,自動安全装置がすべて機能しなくなり,周辺が汚染されても,中央監視室だけは1年以上独立して安全に居住できる空間である必要がある。つまり,核シェルターである必要がある。

しかし,そのようには考えなかったのだろう。

これは,単純に自己過信と傲慢に基づくものだ。

情報セキュリティの世界でも,同じようなことが数え切れないくらい多数回繰り返されてきた。

システムの開発者は胸をはって「安全だ」と言う。脆弱性を指摘すると怒って追い出される。あげくのはてにはあることないこと言いふらされ社会生活上ひどい目にあうようにされてしまうことさえある。

しかし,事故は起きる。起きたあと,その責任者はそ知らぬフリをしている。それで懲りたかと思っていると,別のシステムをつくりだし「安全だ」と言う。脆弱性を指摘すると怒って追い出され・・・という具合に現実に繰り返されてきた。

私は,謙虚さのない人間というものは,どこか精神的に欠陥があるのだろうと思っている。しかし,精神的に欠陥があっても,例えば入試の成績が悪いとかそういうことにはならないので,結構出世したりする。

そのようにして,社会の指導的立場にある者の中には本当は精神的に欠陥があるのに地位と権力を手にしている者がいくらでもいる。

私は,情報セキュリティを本当に確保するためには,そうした精神的に欠陥のある者を排除する社会的な仕組みが必要だと考えているが,その実現可能性はない。

仕方がないので,どんなに冷や飯食いの目にあっても,正しい意見を言い続けるしかない。

さて,本題だが,あまりにも巨大すぎるパブリッククラウドは,それ自体として非常に危険だ。

しかし,そのように言っても,その推進者は「安全だ」と言う。脆弱性を指摘すると怒って追い出される。

追い出してもきっと事故が発生するだろう。そして,事故が起きたあと,その責任者はそ知らぬフリをしているだろうし,それで懲りることもなく,平気で別の商品を売りつけるためにやってくるのに違いない。

利用者としては,自分で核シェルターをもつしかない。

つまり,二重投資になろうと三重投資になろうとおかまいなしに,パブリッククラウドが完全に崩壊しても利用者自身のビジネスの事業継続性を確保することができるように,隔離された安全なシステムを用意しておくことが大事だ。

原発の事故は何年かに1回くらいの頻度しか発生しないかもしれない。しかし,システムの事故は,本当は何分かに1回くらいの頻度で発生することが十分にあり得るからだ。

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(余談)

上記のような意味での精神的欠陥を有する者であるかどうかの判別は,比較的簡単にできることがある。それは,症状として,「何があっても絶対に謝らない」という傾向が著しいからだ。そのような傾向があると感じる者には,上記のような意味での精神的欠陥があるかもしれない。

なお,この手の症状に関しては,下記の書籍が参考になる。

 星野仁彦
 『発達障害に気づかない大人たち』
 祥伝社新書(2010年2月10日)
 ISBN978-4-396-11190-8

 

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