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2011年3月27日 (日曜日)

これからの裁判は少し変化するかもしれない

裁判官も人の子なので間違いはある。裁判官当時の私にもあっただろう。間違いがあるからこそ,上訴審がある。そこで是正されることが期待されているのだ。

人間の間違いには様々なタイプのものがあるが,その中でも最も多いのは「思い込み」かもしれない。このことは,フランシス・ベーコンの書いたものをずっと読み進めてみるとよく分かる。

裁判官も人の子なので,思い込みがある。

例えば,「検察官は不正をしない」という思い込みがそうだ。しかし,それが何も根拠のない「裸の信頼」に過ぎなかったことは大阪特捜部の事件で明らかにされてしまった。以後,多くの裁判所において,刑事事件で提出される証拠(特に供述書)の吟味の程度が厳しくなっているように思う。良いことだと思う。検察官が意図的に冤罪を惹起しようとしたのでなくても,検察官もまた人の子なので,強い思い込みによって誰かを犯罪者だと決めつけてしまうことが多々あるだろう。その誤りは裁判所によって是正されなければならない。

同様の「思い込み」は行政事件においても顕著だったのではないかと思う。

とりわけ原発関連の訴訟等では行政側が敗訴することは皆無に等しい。

それは,原子力関係の審議会や委員会等において専門家が吟味した結果について「裸の信頼」を置いてきたからだと思われる。ある意味で謙虚ということができるが,ある意味では裁判の放棄でもあったとの批判を免れないだろう。

しかし,福島原発の事故により,そのような意味での「裸の信頼」は大きく揺らいでいると思う。

津波や地震に対する防災計画にしてもそうだ。

あまり報道されていないけれども,重大な被災地では裁判所も被害を受け,裁判官や裁判所職員も被災者になった。福島原発付近の小さな裁判所は,避難勧告により無人となってしまっている。

このような重大な危機に直面すれば,どんなに鈍感な人でも気づくだろうと思う。それでも何も気づかないのであれば,裁判官としては不適なので,依願退官すべきだと思う。

このようにして,今後,行政訴訟においても裁判所の判断には微妙な変化が訪れるかもしれない。

超巨大な電力会社だというだけでは誰も信じない。超有名大学の著名教授だというだけでは誰も信じない。当たり前のことなのだが,その当たり前のことが当たり前のこととして通用しやすい時代になるかもしれない。

これまでは,ブランドが全てであり,有名ではあるけれども空虚なブランドだけがまかり通っていたという側面があったことを否定しようがないと思っている。

裁判所及び裁判官もまた,質実剛健をモットーに再生しなければならない。

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