米国では,日本の情報開示の不十分さに不信感を抱いているようだ
下記の日本語記事が出ている。
【津山恵子のアメリカ最新事情】地震大国なのになぜ 米市民が日本に不信感
Wall Street Journal: 2011年3月16日
http://jp.wsj.com/US/Politics/node_200518
私は,政府に味方をするつもりはないしこの記事で指摘されていることの中にはなるほどそうだと思うことも含まれているのだが,それでもなお,この記事は若干不公平なような気がする。
なぜなら,米国においても,重要な事柄が市民に情報開示されないことが結構たくさんあるからだ。言い換えると,米国では何でも直ちに情報開示されるという前提で書いているのだとしたら,この記事は,前提に誤りがあることになる。
そもそも,大半の事柄が秘密にされている社会でなければ,訴訟における証拠開示手続が発達するはずがない。日本において証拠開示手続が十分でないことの背景としては,様々な要素を指摘することはできるけれども,そもそもあまり秘密がないということも一つの要素になっているかもしれない。
他方,この記事は,東電や政府が本当は情報を得ているのに隠しているという前提で書かれている。しかし,そうではないのかもしれない。つまり,東電も政府も,情報を得る手段をもっていなかったという可能性がある。それは,要するに,危機管理のためのシステムが予めビルトインされていなかったということを意味することになる。
それはそうとして,原発周辺住民を早期に避難させるべきだったという結論は,正しい結論だと思う。
このブログの「自然災害」のタグをクリックして過去記事を読んでいただくと,私がそのように主張してきたこと,そして,本当は何を決断すべきだったかを示唆し続けてきたことをご理解いただけると思う。
とはいえ,日本国の政府がこのブログを読んで従うわけでもないので,100パーセント徒労かもしれない。それでも私はこのブログの記事を書き続ける。
[追記:2011年3月17日]
関連記事を追加する。
「世界的な問題」米科学者 賛成・反対両派も危機感共有
産経ニュース: 2011.3.16
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110316/dst11031623340113-n2.htm
一般に,測定値を得る方法として,電子的な方法だけに依存しすぎると,停電や通信回線の遮断などによりその電子的な方法を使えなくなると物理的に測定値を得ることができなくなることは当然のことだ。それだけではなく,普段,そのような電子的な方法だけに頼り,結果としての測定値を数値として知ることだけに慣れ切っていると,基本原理を学び続ける努力を怠ることになるし,素人でもできるルーチンワーク化することから,何も判断能力のないレベルの者が非常に重要な業務を担当するという奇妙な現象を発生させてしまうことにもなる。そして,危機状態が発生すると,電子的な測定結果以外の情報をもとにして,現に発生している事態を推測することのできる能力を有する者が非常に少ない状況になってしまっており,かつ,そのような能力を有する者がいても能力が錆付いてしまっていたり,高齢化してしまっていたり,現場にはいなかったりということが発生してしまうことになる。
私は,何でもかんでも電子化することには反対の立場でこのブログを書いていた。
ここでもまた,その主張を貫きたいと思う。
便利な手段を何も利用できない状況でも生き残ることのできるサバイバル能力を温存できない組織は,本当は生まれたての赤子よりもずっと脆弱で頼りない組織なのだ。
| 固定リンク
コメント