分散が分散になっておらず,実は単なる集中に過ぎない
自動車部品の調達ができず,完成品の自動車生産に影響を与えている。このことは様々なニュース媒体で既に伝えられていることだ。
欧州自動車メーカー、数週間で生産停止も-日本からの部品供給不足
Bloomberg: 2011年3月25日
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920010&sid=a8p6tIJQzReI
日本からの部品調達難、海外自動車メーカーに打撃
Wall Street Journal: 2011年 3月 24日
http://jp.wsj.com/Business-Companies/Autos/node_208668
自動車部品も生産再開困難 完成車に大きく影響
産経ニュース: 2011.3.22
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110322/biz11032221050031-n1.htm
このような結果となってしまっていることについて,最適化と分散が裏目に出たという説明がなされることがある。
最適化が裏目というのは,それ自体としては正しい。ただし,本当に最適化ダッタと言えるのかどうかが問題だ。自社製品で全てをまかなうことをせず,重要な部品を他国の企業の製品に頼っている以上,価格と性能の面では最適化かもしれないが,事業継続性の面では最悪化となる。自社で重要な部品を生産・調達できないのであれば,ビジネスそれ自体を見直すことが必要だろうと思う。場合によっては,自動車生産を断念することも考えるのも経営者として大事な決断の一つだ。
分散が裏目というののは,間違った理解だと言える。分散は,同一の種類の部品について,複数の工場や外注先から調達することができるようにフェイルセーフを構築しておくことを意味する。しかし,場所的に本社工場ではない場所で生産するというだけのことであれば,それは,実は単なる集中の一形態に過ぎず,分散ではない。
結局,モデルの構築能力の乏しい経営者が多いということを意味していることになるのだろう。
今後の復興のためのキーワードは,「冗長性」と「非最適化」となるべきだと考える。
なお,もし株主が自分の利益を確保したいと考えるのであれば,株主は,もっとまともな経営陣に置き換えるために株主権を行使すべきだろうと思う。ここでは,株主としての危機管理といったものを考えることができるかもしれない。
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(余談)
現代社会では,「国産車」という名を用いることは,欺瞞的な商法の一つになってしまっているかもしれない。
欺瞞的であることを避けるためには,例えば,米国で米国企業によって生産される自動車の場合,「重要な電子部品のほぼすべてを日本製としており,米国製を一切使っていないので安全な自動車です」といった説明をしないと違法である,といった法規制を考える必要がある。もちろん,日本で日本の企業によって生産される自動車も同じで,例えば,「エンジンなどをすべて韓国製と中国製でまかなっており,日本製のものを一切使っていないので安価に提供できる自動車です」といった説明をしないと違法である,といった法規制を考えることができる。
このような情報を提供してもらえれば,愛国心の強い消費者は,どんなに高価なものであっても純国産の自動車を求めることになるだろうし,それはそれで新しいビジネスの機会を提供することになるだろう。
世界中で工業製品が飽和的に提供されている時代なので,経営における発想を根本から切り替える必要がある。
薄利多売だけでは経営がもたない。
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