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2011年3月20日 (日曜日)

国の豊かさを測定する指標として,「経済成長率」を使うのはやめよう

目下,広範囲にガソリンや電気などが不足している。ガソリンや電気なしには生活できない社会になってしまっているので,いわば非常に広い範囲が被災地になっているということができるだろう。

このような状況を根本から変革するためには,電気やガソリンの消費がずっと少なくて済むような社会を再構築するしかない。

ところで,経済成長は「善」であり,国が豊かであることが「良いこと」であるという考え方を前提に,現在の世界は動いている。

これは正しいのか?

私は,この考え方それ自体を放棄すべきだと考える。

例えば,国民総生産は,とても欺瞞的な考え方だ。なぜなら,生産するだけで消費されないだけだとすると,生産者の在庫が増加したというだけのことであり,消費者である国民は少しも豊かになっていない。かつ,在庫が増加するだけで全く消費されないとすれば,生産者は倒産するしかない。つまり,国民総生産という考え方は,生産された財が基本的には全部国民によって消費されているということを前提に「豊かさ」を推定する概念であると言える。そして,国民総生産を増大させるということは,結局,消費を増大させるということを意味する。消費が増大すれば,その消費が可能なことを前提にして社会構造が構築されることになる。

電気やガソリンはその典型例ではないかと思う。

このようにして電気やガソリンを大量に消費する社会がいったん構築されてしまうと,それなしには社会が機能しなくなってしまう。

現実問題として,モータリゼーションの普及により,通勤・通学から何やら社会生活のほぼすべてを自動車に頼る生活になってしまっている。東京や大阪などの大都市では,通勤のために移動する人口があまりにも多すぎるため電車などの都市交通が主な交通手段となっている。しかし,それ以外のところでは,電車の運行を可能にするだけの人口がないから,自家用車が基本的な交通手段だ。そして,大都市は,基本的には消費するだけのパラサイトであり,生産しているのは大都市以外の地域なので,基本的な交通手段である自動車が動かなくなると,何も生産・運搬できなくなり,パラサイトである都市での消費もできなくなる(パラサイトが衰弱し,死に至る)という関係が成立している。

最大の問題は,税金でまかなわれている政府組織自体が100パーセントパラサイトであり,何も生産していないということだ。だから,「生産のための社会構造」を正しく認識・理解することができなくなってしまう。消費するだけの存在なので,必ずそうなる。

このような状況を打開するためには,経済成長が「国の豊かさ」を示す指標であるという考え方それ自体を廃止するのが最も効果的だ。

消費されることを前提とする生産量を測定値にするということは,これから先もどんどん消費拡大を「善」とする社会構造を維持・拡大しなければならないということを意味する。

これではいくら資源があっても不足してしまうのは当たり前のことだ。

要するに,「消費の拡大」が「善」であるという考え方は,単純に,売り上げを増加させようとする生産側(企業)の論理や行動を「善」であると自己弁護するための論理でしかなく,論理それ自体としては何らの正当性も有していないと断定することができる。

「人の心の豊かさ」は,生産や消費の数値によって測定することができない。

全人類が王侯貴族のような生活をしなければならないという義務などないし,できるわけもない。

多数の者に消費させた売り上げを大量に集金した者だけが王侯貴族のような生活をすることができる。消費者には小分けされた財が手元に残るが,更に消費を重ねなければならないという強迫観念も一緒に植え付けられ,単純に消費を拡大するだけの社会構造が形成される。これは,消費という行動なしには生きていられないような国民を大量に生産することにより,国民が企業のパラサイトになるように仕向けられた社会構造であるということができる。

そこでは,win winの関係など本当は存在していない。

とはいっても,現在の世界では,経済成長率至上主義をやめることはできないだろうと思う。

そして,究極的には,全滅の日が必ず待っている。それは,資源の枯渇により,世界全体が組織として機能しなくなり,衰弱し,死亡するということを意味している。

現在,ガソリンや電気不足により社会で様々な支障が起きている。消費だけではなく,生産と運搬が不可能になっているからだ。そのような状況では,もちろん被災地に対する支援もできない。

私は,法律学者だ。にもかかわらず,長年にわたり,ランと寄生菌の関係について地道に研究を続けてきた。そして,菌類それ自体についても研究を重ねてきた。それは,自然史上最も高度に進化した植物群であるラン科植物と地球の生命の歴史の中でかなり初期の段階から存在したと考えられる菌類との相互関係を丁寧に調べることが人類の社会構造を理解し,その未来を予測する上でとても貴重な素材の一つとなると考えたからだ。

私の意見に反対したい者は,50種類程度以上の原種ランを2~3年程度以上継続して栽培できるようになってから反対してもらいたいものだと思っている。

実際にやってみれば,必ず私と同じ結論に至るだろうと思っている。


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 国の原子力政策は転換可能か?
 http://cyberlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-9e67.html

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