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2011年2月14日 (月曜日)

他の文書の使いまわし

学生のレポートを採点していると,ときどき「これはどこかで読んだことがある」と気づき,念のために自作のプログラムを使って調べてみることがある。

ほとんど全ての場合において,ネット上の何らかの文書の一部をコピーしたものだった。ネット上にない文書でも,関連書籍や論文等で心当たりのあるものをかたっぱしから調べてみると,その中に該当のあることがある。今後,学術論文のWeb公開が進むと,ネット上だけでほとんど全ての確認をすることができるようになるだろう。

過去の例としては,全文まる写しのレポートを見つけ,当然,「不可」の成績評価をした。さすがにそのような例は1例だけだった。

単純なデッドコピーではなく,巧妙に織り交ぜているレポートはなかなか難しい。しかし,見つけ次第減点している。

実は,このような例は,世間では普通に横行している。全て著作権侵害物なのだが,そんなことは一切気にしない厚顔無恥な人々が何万人も存在する。

個人の楽しみとしてそのような例の中で(書籍として出版されているものを含め)入手可能なものを多数コレクションし続けてきたし,何度読み返しても笑いがとまらない。

有名な例としては,Pマークの申請書類の例がある。N大学のS先生がかつて作成した申請書雛形のようなものがあり,これがとても優れたものなので,どんどんコピーされ,文書中の固有名詞をとりかえただけで申請に用いられる例が多々あった。現在でもあるかもしれない。ところが,ファイルのプロパティにはS先生の名前が残っていたため,簡単に露見してしまったのだ。

また,有名な**大学**学*では,有名な**教授が,他人の論文をまぜこぜにして学位論文を作成することをむしろ当然のこととして指導していたらしく,そこで学位を得た**氏の学位論文が100パーセント剽窃物であるということが後に判明して,学位を得た後に就職した勤務先を解雇されたという例がある。おそらく,そこで学位を得た者の大半が同様であり,全員学位を取り消されるべきだろうと思う。

私の著作物がパクられる例は非常に多く,有名な某弁護士事務所では,それを使いまくってクライアントに報告書として提出し,非常に大きな報酬を得たということの自白を当の本人から受けたことがある。悪いと思っているのなら報酬全額を私に支払うべきだと思うのだが,1円も払う気がないところをみると,何とも思っていないのだろう。以後,私は,その弁護士事務所を犯罪者集団だとみなしている。そのような弁護士事務所の例は,他にもある。世間では有名弁護士事務所としてまかり通っているところばかりなのだが,私は,いずれも犯罪者集団だと認識している。「恥」という概念を知っており,自由と正義を守る弁護士を標榜し続けたいのなら,一度私のとろこに侘びくらい入れに来るべきだと思うのだが,そういうことはかつて一度もなかった。

他方で,使いまわしの例もある。

非常に有名な**社の顧問弁護士として運転手付きの最高級BMWで出勤しているということで評判になっている**弁護士は,論文を書くことでも有名なのだが,ある論文を読んでみると,「この点については***準備書面でも述べたとおりであるが・・・」と書かれていた。つまり,訴訟の準備書面をそのまま論文に転用したのだ。これは,論文とは言えない。査読者は一体何をやっていたのだろうか。当然,却下し,学会員としては除名処分とすべきだろうと思う。

一般に,学会の論文は,最初に発表されるものでなければならない。他の文書の使いまわしは許されない(その逆は問題がない。例えば,過去に学会誌で発表した論文をまとめて書籍として刊行することは普通に行われている。学会誌は,「最初に発表する場」であるところに意味があるので,まぜこぜにしてはならない。)。

セミナーの講師などでは,使いまわしが普通になっている。同じ講師のどのセミナーに行っても同じ資料が使われる。この場合,何とも言えない部分があるが,高い講演料をとっている場合,受講者が使いまわしでもかまわないから聞きたいと思っているのであれば問題ないだろう。また,どのセミナーでも同じ資料が用いられるということが当然の前提になっている場合にも問題はないだろう。しかし,当のセミナー限りのオリジナルであることを前提のセミナーであるのに,別のセミナーで用いた資料等をそのまま使いまわしているのであれば,明らかに詐欺罪となる。

一般に,完全にオリジナルの文書を書き下ろすことには大変な苦労が伴う。このことは,自分で学術論文を書いてみた経験のある人なら誰でも容易に理解することができることだろう。

私は,基本的に,毎回完全に書き下ろしで新しい資料等を作成し,それをセミナー等で用いている。だから,分量的にはちょっと見劣りがするようなものしか作れないけれど,内容的には常に最先端のものを含んでいることになる。論文の場合,当然のことながら,常に完全に書き下ろしなので,論文の大量生産はできない。

一般論として,まともに学術論文と呼べるようなものは,1年に1本~数本くらいをコンスタントに書けたら学者として立派なものだろうと思う。

ところが,現実には,使いまわしを上手にやる人のほうが評価が高かったりすることがある。何しろ,評価する側の人間に評価能力がないことが多いので,そういうことになる。

本当に大事なことは,せいぜい数行もあれば十分に記述可能なので,本当は,その数行だけが貴重なのだ。

  真理を語るのに多弁は要しない。

しかし,そのことを理解するだけの能力を持ち合わせていない人が大半だと考えられる。

結局,体裁や分量が重視されることになる。

本当に嘆かわしい時代になったものだと思う。

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この記事は,以前書いたままアップロードしないでいたものを本日アップロードするものです。

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