勝間和代氏がCPE研修を受けなかったために懲戒処分を受け,公認会計士を廃業
ちょっと調べものをしていたら,下記のニュースが目にとまった。
勝間和代氏の会計士廃業を「さおだけ屋」著者残念がる
アメーバニュース: 2011年2月20日
http://news.ameba.jp/20110220-36/
私は勝間和代氏のファンではないし,その意見にも賛成しかねる部分が多い。あまりにも観念的過ぎるからだ。
しかし,廃業することにした原因(動機)については,何となく分かるような気がする部分もないではない。
研修は弁護士会にもあるし,大学にもある。それを受けないと,それなりのペナルティもある。ギルド組織なので当然のことだろう。
しかし,研修なるものの内容が問題だ。
あくまでも一般論だが,トップクラスの者がずっとレベルの低い者が主宰する研修を受けなければならない場合,きっと世の理不尽を感ずることだろう。
実際にその者がトップクラスかどうかとは無関係に,自意識としてトップだと思っている者にとっては耐え難いものではないだろうか。むしろ,侮辱に近いことだ。
社会が組織化されると避けられないこととはいえ,何か方策を講ずる必要があるかもしれない。
そうでなければ,昔ながらの家元制度のようなものの現代版ができるだけのことであり,それは,有能な人材を殺してしまう作用しか営まない。
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(余談)
私が第35期の司法修習生の時分のことだ。
あるとき,研修所の教官に対し,「教官になるための資格審査はあるのですか?」と質問したことがある。
その教官は絶句していた。
私は,当時,どの教官よりも自分のほうががずっと優れていたとは思わない。当時でも今でも,部分的には,どの教官よりもはるかに優れている部分を持っていたし現在でも持っていると自負するが,もちろん劣っている部分も多々あった。その意味で,司法研修(特に自由選択科目の外国法の講義と演習)はとても楽しかったし,意義あるものだったと思っている。
しかし,どの部分をみても教官よりもはるかに優れた同期生が存在したことは事実だと確信している。教官よりも優れているのに,どうして司法修習を受けなければならないのか,それが疑問だった。
私は,一般論として,どの研修においても,もしその研修が受講者の任意で参加するものではなくシステム上義務的に参加しなければならないものであるとするのであれば,研修担当者は,いかなる受講者よりもはるかに優れていなければならないという信念をもっている。もちろん,自分の意志で教育,訓練,研修等を受けるのであれば,それは別だ。有償・無償を問わず,受講者の自由に属するし,たとえ研修担当者が無能であったとしてもも,それは受講者の選択という自己責任の領域に属する。私がここで言ってるのは,義務的な研修,訓練等のことなので,誤解のないようにしていただきたい。
少なくとも,機械的に検査するのことできる知能指数だけでも優秀成人評価で200以上(=評価不能)でなければならない。
もし研修担当者が「自分はそうではない」と思うのであれば,潔く研修担当を辞任すべきだろう。
能力のない者が,優秀な者に対して,義務的な研修を施し,くだらないことを押し付けてはならない。
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