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2011年1月28日 (金曜日)

救済と無救済との限界点

薬害や公害の訴訟でもそうだし,年金でも介護でも強制保険でも補償でも何でもそうなのだが,国が資金負担の責任を負う場合,その資金は(当然のことながら)税から支払われる。

国庫は,税を集めた倉庫のようなものに過ぎない。

国は,財を生むことがない。国民が生み出した財を税としてとりたて,それを国庫として管理することしかできない。一般国民が「国」として認識しているものは,実は,そのような意味での国庫(=税)なのであり,それは国民自身が支出したものなのだ。

さて,国庫に不足が生ずれば,当然,増税となる。

それでも国庫がカラになってしまうのであれば,国は,支出したくても何も支出できなくなる。

ところで,一般に,もし完璧な救済,介護,年金,補償などが国によって支出されなければならないとすれば,それに必要な財源が必要となる。そして,その財源に不足が生ずる場合には,それに見合った増税が必要となる。

その増税額が少ない場合には,被害者等については免税措置を講ずることができるだろう。この場合,何も給付を受けることのない一般国民だけが負担を押し付けられることになる。

しかし,その額が大きくなり,被害者ではない国民が最低限の生活をおくることができない程度になった場合,(当然のことながら)何の罪もない一般国民が自分の生命を犠牲にしてまで他人を助けるべき義務などあるわけがないから,被災者等を含む全ての国民に対して一律に増税せざるを得なくなってしまうだろう。そうでなければ,国民全部が死んでしまうことになりかねない。

そして,その額がある一定金額以上になると,国から給付を受けた金額をすべて税として吐き出さなければならない状態となる。

これが限界点であり,極めて単純な算数の問題だ。

誤解のないように述べておくと,私は,何らかの帰責原因がある場合に国が何も責任を負わなくてもよいということを述べているのではない。また,現政権の様々な施策を支持するとかしないとか,そういうレベルでものごとを考えているわけでもない。むしろ逆に,国に潤沢な資金があるのであれば,十分に満足すべき金額の給付をすべきものだと考えているし,被災者には十分な補償がなされなければならないとも考えている。

しかし,現実は異なる。

現状では,既に上記のような恐怖の算数をしなければならない状態になりはじめているのではないだろうか?

・・・と,そのように述べてみても,私の意見に耳を貸すことのできない人にとっては,それに耳を貸すことなど全くできないことだろう。

誰も国庫が破綻するという事態など全く想定してはいないからだ。

しかし,ないものはない。

おそらく,現実に国庫が破綻し,何も支出できない状態にならなければ,事態を変えることはできないだろう。そのような事態に陥れば,誰がどれだけ懇願したり抗議したりしても,ないものはないので何も支出できなくなる。現実にそうなってしまえば,要するに,国が「金を生む鶏」などでは絶対にあり得ないという当たり前のことを誰もが理解することになるだろう。

「権利」とは,もともと期待値の表現の一つに過ぎないものなので,権利それ自体が事実と一致しているというわけではないし,その期待は現実の事実によってしばしば裏切られることになる。このことは,勝訴判決を得ても,その判決を債務名義として執行をしたときに差し押さえるべき財産がなければ「ただの紙」に過ぎないということと全く同じことだ。

さてさて・・・

その他公私のもろもろのことが次から次へとやってくる。さんざん苦労しながらやっと何かを解決できたと思ったら,息つく暇なく,よりシビアな問題が押し寄せてくる。それらに押しつぶされそうになり,「一寸先は闇」のような暗澹たる思いだけがつのる。

しかし,それでもなお生きていかなければならない。

とんでもなく悲惨な時代になってしまったものだ・・・

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