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2011年1月28日 (金曜日)

文化に進歩などあるのか?

どうも疑問に思うことが多い。

「個人」の定義について考え続けているのだが,結局,人類は原始仏典や古代ギリシア哲学の域を少しも出ていない。

ファッションを見ると,過去何百年かに流行したものの焼き直しかコンビネーションだけ。

いま流行の韓流女性グループの動向を見ていると,やっていることはかつての日本のラインダンスと同じ,ドタバタは日本のプロダクションの分離騒動と同じ。たぶん,同じようなことは世界中の様々な芸能分野で何百年も前からあり,ただそれが記録に残りにくいだけなのではないかと思う(映画『哀愁』で主人公がバレエ団をクビになるシーンを思い出してしまう。)。

人類の遺伝子それ自体が急速に変化するものではないので,遺伝子によって規律された行動や発想のパターンもそんなに変化するわけがない。

そうであるとすれば,開き直って,「進歩することが良いとは限らない」という発想から社会を組み立てなおしてみることも必要だと考えている。ベンタム流の功利主義は,むしろ,そのような社会のほうでより意義のある考え方ではないかとも考えられる。独占が支配してしまっている社会では,功利主義が社会的合理性をもつ余地が乏しい。

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